七歳ヨリ綴ル所ノ詩筆、四十|載《さい》、向フ矣《い》、約千有余篇」
 こんなことも書いてある。
 開元十九年二十歳の時、呉越方面へ放浪した。
 四年の間を放浪に暮らし、開元二十三年の頃、京兆の貢拳《こうきょ》に応じたものである。
 だが旨々《うまうま》落第してしまった。


 彼はすっかり落胆した。
 奉天の父の許へ帰って行った。泰山《たいざん》を望んで不平を洩らした。
 二年の間ブラブラした。
 それから斉《せい》や趙《ちょう》[#ルビの「ちょう」は底本では「しょう」]に遊んだ。
 それから長安へ遣って来たのであった。

 李白と杜甫との会見は、賀知章が心配したほどにもなく、非常に円滑に行なわれた。
 会後李白が賀知章へ云った。
「彼は頗《すこぶ》る人間臭い。それが又彼のよい所だ。詩人として当代第一」
 また杜甫はこう云った。
「なるほどあの人は謫仙人だ。僕はすっかり面喰ってしまった。詩人としては第一流、とても僕など追っ付けそうもない」
 互いに推重をしあったのであった。
 李適之《りてきし》、汝陽《じょよう》、崔宗之《さいそうし》、蘇晋《そしん》、張旭《ちょうぎょく》、賀知章《が
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