にも離れたのである。
彼はある時には役者絵を描きまたある時には笑絵《わらいえ》をさえ描いた。頼まれては手拭いの模様さらに引き札の図案さえもした。それでも彼は食えなかった。顔を隠して江戸市中を七色唐辛子を売り歩いたものだ。
「辛い辛い七色唐辛子!」
こう呼ばわって売り歩いたのである。彼の眼からは涙がこぼれた。
「絵を断念して葛飾《かつしか》へ帰り土を掘って世を渡ろうかしら」――とうとうこんなことを思うようになった。
やがて師走《しわす》が音信《おとず》れて来た。
暦が家々へ配られる頃になった。問屋《といや》へ頼んで安くおろして貰い、彼はそれを肩に担ぎ、
「暦々、初刷り暦!」
こう呼んで売り歩いた。
「暦を売って儲けた金でともかくも葛飾へ行って見よう。名主の鹿野紋兵衛様は日頃から俺《わし》を可愛がってくださる。あのお方におすがりして田地を貸して頂こう。俺には小作が相応だ」
ひどく心細い心を抱いて、今日も深川の住居から神田の方までやって来たが、ふと気が付いて四辺《あたり》を見ると、鍛冶橋狩野家の門前である。
「南無三宝、これはたまらぬ」
あわてて彼は逃げかけた。しかし一方恋しさ
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