「ワッハッハッハッこりゃ面白い! 他人《ひと》に刎ねられるまでもない。自身《みずから》出品しないまでよ。……何を苦しんで何を描こうぞ。盲目《めくら》千人の世の中に自身《みずから》出品しないまでよ!」
 融川はつと[#「つと」に傍点]立ち上がったが見据えた眼で座中を睨む……と、スルスルと部屋を出た。
 一座寂然と声もない。
 ひそかに唾を呑むばかりである。
 その時日頃融川と親しい、林大学頭が膝行《にじ》り出たが、
「豊後守様まで申し上げまする」
「…………」
「狩野融川儀この数日来頭痛の気味にござりました」
「ほほうなるほど。……おおそうであったか」
「本日の無礼も恐らくそのため。……なにとぞお許しくだされますよう」
「病気とあれば是非もないのう」
 ――ちと云い過ぎたと思っていたやさきとりなす者が出て来たので早速豊後守は委せたのであった。――
 しかしそれは遅かった。悲劇はその間に起こったのである。

        二

 ちょうど同じ日のことであった。
 葛飾北斎は江戸の町を柱暦《はしらごよみ》を売り歩いていた。
 北斎といえば一世の画家、その雄勁の線描写とその奇抜な取材とは、古
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