ゆる悲劇の主人公なのでもあろう。
 持ち返って手入れせよと、素人の豊後守から指図《さしず》をされ融川は颯《さっ》と顔色を変えた。急《せ》き立つ心を抑えようともせず、
「ご諚《じょう》ではござれどさようなこと融川お断わり申し上げます! もはや手前と致しましては加筆の必要認めませぬのみかかえって蛇足と心得まする」
「えい自惚《うぬぼれ》も大抵にせい!」豊後守は嘲笑《あざわら》った。「唐《もろこし》徽宗《きそう》皇帝さえ苦心して描いた牡丹の図を、名もない田舎の百姓によって季節外れと嘲られたため描き改めたと申すではないか。役目をもって申し付ける。持ち返って手入れ致せ!」
 老中の役目を真っ向にかざし豊後守はキメ付けた。しかし頑《かたく》なの芸術家はこうなってさえ折れようとはせず、蒼白の顔色に痙攣する唇、畳へ突いた手の爪でガリガリ畳目を掻きながら、
「融川断じてお断わり。……融川断じてお断わり。……」
「老中の命にそむく気か!」
「身|不肖《ふしょう》ながら狩野宗家、もったいなくも絵所預り、日本絵師の総巻軸、しかるにその作入れられずとあっては、家門の恥辱にござります!」
 彼は俄然笑い出した。

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