るは絵師冥利にござります。あっ[#「あっ」に傍点]とばかりに驚かれるような珍しいものを描きましょう。フフフフ承知でござるよ」

        五

 その日以来門を閉じ、一切来客を謝絶して北斎は仕事に取りかかった。弟子はもちろん家人といえども画室へ入ることを許さなかった。
 彼の意気込みは物凄く、態度は全然|狂人《きちがい》のようであった。……こうして実に二十日間というもの画面の前へ坐り詰めていた。何をいったい描いているであろう? それは誰にも解らなかった。とにかく彼はその絵を描くに臨本《りんぽん》というものを用いなかった。今日のいわゆるモデルなるものを用いようとはしなかった。彼はそれを想像によって――あるいはむしろ追憶によって、描いているように思われた。
 こうして彼は二十日目にとうとうその絵を描き上げた。
 彼は深い溜息をした。そうしてじっと[#「じっと」に傍点]画面を見た。彼の顔には疲労があった。疲労《つか》れたその顔を歪めながら会心の笑《えみ》を洩らした時には、かえって寂しく悲しげに見えた。
 クルクルと絵絹を巻き納めると用意して置いた白木の箱へ、静かに入れて封をした。
 ど
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