の間に江戸市中だけで、八十回以上百回近くも転宅《ひっこし》をしたということである。越して行く家越して行く家いずれも穢ないので有名であった。ひとつは物臭い性質から、ひとつはもちろん家賃の点から、貧家を選まざるを得なかったのである。
それは根岸|御行《おぎょう》の松に住んでいた頃の物語であるが、ある日立派な侍が沢山の進物を供に持たせ北斎の陋屋《ろうおく》を訪ずれた。
「主人阿部豊後守儀、先生のご高名を承わり、入念の直筆頂戴いたしたく、旨《むね》を奉じてそれがし事本日参上致しましてござる。この儀ご承引くだされましょうや?」
これが使者の口上であった。
阿部豊後守の名を聞くと、北斎の顔色はにわかに変わった。物も云わず腕を組み冷然と侍を見詰めたものである。
ややあって北斎はこう云った。
「どのような絵をご所望かな?」
「その点は先生のお心次第にお任せせよとのご諚にござります」
「さようか」
と北斎はそれを聞くと不意に凄く笑ったが、
「心得ました。描きましょう」
「おおそれではご承引か」
「いかにも入念に描きましょう。阿部様といえば譜代の名門。かつはお上のご老中。さようなお方にご依頼受け
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