かえりみち》のことであったがにわかに夕立ちに襲われた。雷嫌いの北斎は青くなって狼狽し、田圃道を一散に飛んだ。
その時眼前の榎《えのき》の木へ火柱がヌッと立ったかと思うと四方一面深紅となった。耳を聾《ろう》する落雷の音! 彼はうん[#「うん」に傍点]と気絶したがその瞬間に一個の神将、頭《かしら》は高く雲に聳え足はしっかりと土を踏み数十丈の高さに現われたが――荘厳そのもののような姿であった。
近所の農夫に助けられ、駕籠に身を乗せて家へ帰るや、彼は即座に絹に向かった。筆を呵《か》して描き上げたのは燃え立つばかりの鍾馗《しょうき》である。前人未発の赤鍾馗。紅《べに》一色の鍾馗であった。
これが江戸中の評判となり彼は一朝にして有名となった。彼は初めて自信を得た。続々名作を発表した。「富士百景」「狐の嫁入り」「百人一首絵物語」「北斎漫画」「朝鮮征伐」「庭訓往来」「北斎画譜」――いずれも充分芸術的でそうして非常に独創的であった。
彼は有名にはなったけれど決して金持ちにはなれなかった。貨殖《かしょく》の道に疎《うと》かったからで。
彼は度々|住家《いえ》を変えた。彼の移転性は名高いもので一生
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