し》を推薦くだされたので?」
「はいさようにござります」
「むう」
とにわかに北斎は腕を組んで唸り出した。
当時における谷文晁は、田安中納言家のお抱え絵師で、その生活は小大名を凌ぎ、まことに素晴らしいものであった。その屋敷を写山楼《しゃざんろう》と名付け、そこへ集まる人達はいわゆる一流の縉紳《しんしん》ばかりで、浮世絵師などはお百度を踏んでも対面することは困難《むずか》しかった。――その文晁が意外も意外自分を褒めたというのだからいかに固陋《ころう》の北斎といえども感激せざるを得なかった。
「よろしゅうござる」
と北斎は、喜色を現わして云ったものである。
「思うさま腕を揮いましょう。承知しました、きっと描きましょう」
「これはこれは早速のご承引《しょういん》、主人どれほどにか喜びましょう」
こういって使者《つかい》は辞し去った。
北斎はその日から客を辞し家に籠もって外出せず、画材の工夫に神《しん》を凝らした。――あまりに固くなり過ぎたからか、いつもは湧き出る空想が今度に限って湧いて来ない。
思いあぐんである日のこと、日頃信心する柳島《やなぎしま》の妙見堂へ参詣した。その帰路《
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