かえりみち》のことであったがにわかに夕立ちに襲われた。雷嫌いの北斎は青くなって狼狽し、田圃道を一散に飛んだ。
その時眼前の榎《えのき》の木へ火柱がヌッと立ったかと思うと四方一面深紅となった。耳を聾《ろう》する落雷の音! 彼はうん[#「うん」に傍点]と気絶したがその瞬間に一個の神将、頭《かしら》は高く雲に聳え足はしっかりと土を踏み数十丈の高さに現われたが――荘厳そのもののような姿であった。
近所の農夫に助けられ、駕籠に身を乗せて家へ帰るや、彼は即座に絹に向かった。筆を呵《か》して描き上げたのは燃え立つばかりの鍾馗《しょうき》である。前人未発の赤鍾馗。紅《べに》一色の鍾馗であった。
これが江戸中の評判となり彼は一朝にして有名となった。彼は初めて自信を得た。続々名作を発表した。「富士百景」「狐の嫁入り」「百人一首絵物語」「北斎漫画」「朝鮮征伐」「庭訓往来」「北斎画譜」――いずれも充分芸術的でそうして非常に独創的であった。
彼は有名にはなったけれど決して金持ちにはなれなかった。貨殖《かしょく》の道に疎《うと》かったからで。
彼は度々|住家《いえ》を変えた。彼の移転性は名高いもので一生の間に江戸市中だけで、八十回以上百回近くも転宅《ひっこし》をしたということである。越して行く家越して行く家いずれも穢ないので有名であった。ひとつは物臭い性質から、ひとつはもちろん家賃の点から、貧家を選まざるを得なかったのである。
それは根岸|御行《おぎょう》の松に住んでいた頃の物語であるが、ある日立派な侍が沢山の進物を供に持たせ北斎の陋屋《ろうおく》を訪ずれた。
「主人阿部豊後守儀、先生のご高名を承わり、入念の直筆頂戴いたしたく、旨《むね》を奉じてそれがし事本日参上致しましてござる。この儀ご承引くだされましょうや?」
これが使者の口上であった。
阿部豊後守の名を聞くと、北斎の顔色はにわかに変わった。物も云わず腕を組み冷然と侍を見詰めたものである。
ややあって北斎はこう云った。
「どのような絵をご所望かな?」
「その点は先生のお心次第にお任せせよとのご諚にござります」
「さようか」
と北斎はそれを聞くと不意に凄く笑ったが、
「心得ました。描きましょう」
「おおそれではご承引か」
「いかにも入念に描きましょう。阿部様といえば譜代の名門。かつはお上のご老中。さようなお方にご依頼受け
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