いも及ばない辺鄙《へんぴ》の土地、四時煙りを噴くという、浅間の山の麓《ふもと》の里、追分節の発生地、追分駅路のある旅籠屋で、ポンポン、ポンポンと美しく、同じ音色に鳴っていたのであった。

    浅間の麓《ふもと》追分宿

 いまの地理で説明すると、長野県北佐久郡、沓掛近くの追分宿は、わずかに戸数にして五十戸ばかり、ひどくさびれた宿場であるが、徳川時代から明治初年まで、信越線の開通しないまえは、どうしてなかなか賑やかな駅路で、戸数五百遊女三百、中仙道と北国街道との、その有名な分岐点として、あまねく世間に知れていた。
 まず有名な遊女屋としては、遊女七十人家人三十人、総勢百人と注されたところの、油屋というのを筆頭に、栄楽屋、大黒屋、小林屋、井筒屋、若葉屋、千歳屋など、軒を連ねて繁昌し、正木屋、小野屋、近江屋なども、随分名高いものであった。「追分|女郎衆《じょろしゅ》についだまされて縞の財布がから[#「から」に傍点]になる」「追分宿場は沼やら田やら行くに行かれぬ一足も」「浅間山から飛んで来る烏《からす》銭も持たずにカオカオと」
 こういったような追分文句が、いまに残っているところから見ても
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