拠手段」をとるのが好きで、若いかいなで[#「かいなで」に傍点]の与力や同心経験一点張りの岡《おか》っ引《ぴき》など、実にこの点に至っては、その足もとへも寄りつけなかった。その彼が何か思うところあって、鼓の音を追うというからには、その鼓の音なるものが、いかに大切なものなるかが、想像されるではあるまいか。
 江戸を飾っていた桜の花が「ひとよさに桜はささらほさらかな」と、奇矯な俳人が咏んだように、一夜の嵐に散ってからは、世は次第に夏に入った。苗売り、金魚売り、虫売りの声々、カタンカタンという定斎屋《じょうさいや》の音、腹を見せて飛ぶ若い燕の、健康そうな啼き声などにも、万物生々たるこの季節の、清々《すがすが》しい呼吸が感ぜられた。春にだらけた人々の心も、一時ピンとひきしまり、溌溂たる[#「溌溂たる」は底本では「溌※[#「さんずい+刺」]たる」]元気をとりかえしたが一人寂しいのは平八老人で、この時までも鼓の音を、耳にすることが出来なかった。そもそも鼓はどこにあるのであろう? 二度と再びあの鼓は、美妙な音色を立てないのであろうか?
 いやいや決してそうではない。鼓はこの時も鳴っていたのであった。思
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