ら一苦労なすっているらしい。油を売りになど見えられるものか」「何んでござるな、音響学とは?」相手がもしもこうきこうものなら、一閑斎は大得意で、さらに皮肉を飛ばせるのであった。「音響学でござるかな、音響学とは読んで字の如し。もっともあのじん[#「じん」に傍点]の音響学は、ちと変態でござってな、ポンポンと鳴る小鼓の音から、鼠小僧を現じ出そうという、きわめて珍しいものでござるよ」
 これではどうにも聞く人にとっては、なんのことだかわからない。しかし実際郡上平八は、あの晩以来思うところあって、あの時耳にした鼓の音を、是非もう一度聞きたいものと、全身の神経を緊張《ひきし》めて、江戸市中を万遍《まんべん》なく、歩き廻っているのであった。人間の心理や世間の悪事を、玻璃窓を透して見るように、正しく明らかに見るというところから、あざ名を「玻璃窓」とつけられた彼は、老いても体力衰えず、職は引退《のい》ても頭脳は鋭く、その頭脳の働き方が、近代の言葉で説明すると、いわゆる合理的であり科学的であって、在来《ざいらい》の唯一の探偵法たる「見込み手段」を排斥し、動かぬ証拠を蒐集して、もって犯人をとらえようという「証
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