でも友人づきあいであった。
この二人の仲のよさは、当時有名なものであった。というのも碩翁の養女が、将軍晩年の愛妾だからで、もっとも碩翁その人も一個変った人物ではあった。才智があって大胆で、直言をして憚らない。そうして非常な風流人で、六芸十能に達していた。だから家斉とはうま[#「うま」に傍点]があった。で二人の関係は主従というよりも友達であった。
身分は九千石の旗本で、たいしたものではなかったが、その権勢に至っては、老中も若年寄もクソを喰らえで、まして諸藩の大名など、その眼中になかったものである。
したがって随分わがままもした。市井の無頼漢《ぶらいかん》を贔屓《ひいき》にしたり、諸芸人を近づけたりした。いわゆる一種の時代の子で、形を変えた大久保彦左衛門、まずそういった人物であった。
賄賂《わいろ》も取れば請託《せいたく》も受けた。その代わり自分でも施しをした。顕職を得たいと思う者が、押すな押すなの有様で、彼の門を潜ったそうだ。
悪さにかけても人一倍、善事にかけても人一倍、これが彼の真骨頭であった。恐れられ、憚られ、憎まれもした。とまれ清濁併せ飲むてい[#「てい」に傍点]の、大物
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