鏡家の養子葉之助殿は十二歳だということであるが一見十八、九に見えますな」
 家中の若侍達寄るとさわると葉之助の噂をするのであった。
「ノッソリとしてズングリとしてまるで独活《うど》の大木だ」
 などと悪口する者もある。
「ノッソリの方は当たっているがズングリの方はちと相応《そぐ》わぬ。どうしてなかなか美少年だ」
 なあんて中には褒《ほ》めるものもある。
「ところでどうだろう剣道の方は?」
「無論駄目駄目。大下手《おおへた》とも」
「いやいやまんざらそうでもあるまい。飯田の南条右近というは小野派一刀流では使い手だそうだ。その方の三男とあって見れば見下《みくだ》すことは出来ないではないか」
「論より証拠立ち合ったら解る」
「いやいや相手はご家老のご養子、無下《むげ》に道場へ引っ張って行って打ち据《す》えることもなりがたい」
「武芸には身分の高下はない」
「しかし相手はまだ子供だ、十二歳だというではないか。我々は立派な壮年でござる」「と云ってあの仁とて十八、九には、充分見えるではござらぬか」「たとえ幾歳《いくつ》に見えようと年はやはり年でござる」「よろしいそれでは注意して柔かくあしらって[#「あしらって」に傍点]やりましょう」「さようさ、それならよろしかろう」
 ある日、これらの若侍どもが、立川町に立っている中条流《ちゅうじょうりゅう》の道場でポンポン稽古《けいこ》をやっていた。主人の松崎清左衛門はきわめて温厚の人物であったがちょうど所用で留守のところから、代稽古の石渡三蔵が上段の間に控えていた。
 通りかかったのが葉之助で、若党の倉平を供に連れ、ふと武者窓の前まで来ると小気味のよい竹刀《しない》の音がする。
「ちょっと待て倉平」
 と声をかけて置いてひょい[#「ひょい」に傍点]と窓から覗いていた。
 早くも見付けた若侍ども、「おや」と一人が囁《ささや》くと、「うん」と一人がすぐに応じる。バラバラと二、三人飛び出して来た。
「これはこれは葉之助殿、そこでは充分に見えません。内《なか》にはいってご覧ください」
「さあさあ内へ、さあさあ内へ」
 まるで車掌が電車の中へ客を追い込もうとするかのようにむやみに内へを連発する。
「これはどうもとんだ失礼、覗きましたは私の誤《あやま》り、なにとぞご勘弁くださいますよう」葉之助はテレて謝った。
「いやいやそんな事は何んでもござらぬ。ポンポン竹刀の音がすればつい覗きたくもなりますからな。外からでは充分見えません。内へはいってゆっくりと」
「それにこれまで駈け違いしみじみ御意《ぎょい》を得ませんでした。今日はめったに逃がすことではない」
「おい近藤何を云うんだ」白井というのが注意する。
「何はともあれおはいりくだされ」
「倉平、どうしたものだろうな?」
「若旦那、お帰りなさいませ」事態|剣呑《けんのん》と思ったので主人を連れて帰ろうとする。
 そこへまたもや二、三人若侍どもが現われた。
「葉之助殿ではござらぬか。これはこれは珍客珍客! 近藤、白井、何をしている。早く葉之助殿をご案内せい」
「何んとでござる葉之助殿、おはいりくだされおはいりくだされ」
「せっかくのお勧め拝見しましょう」
「しめた!」「おい!」「ハハハ」
 そこで葉之助はノッソリと道場の内へはいって行く。
「おい、はいって行くぜはいって行くぜ」
「可哀そうに殴られるともしらず」「知らぬが仏という奴だな」「それにしても大きいなあ」「十二とは思われない」「十九、二十、二十一、二には見える」「随分力もありそうだぞ」「あの力でみっちり[#「みっちり」に傍点]殴られたら」「そりゃ随分に痛かろうさ」
 そろそろ怖気《おぞけ》を揮《ふる》う奴もある。
 葉之助の姿がノッソリと道場の中へ現われると、集まっていた門弟どもまたひとしきり噂をした。よせばよいのに気の毒な――こう思う者も多かったが大勢《たいせい》いかんともしがたいので苦い顔をして控えている。
「こちらへこちらへ」と云いながら、白井というのが案内した席は皮肉千万にも正座《しょうざ》であった。すなわち稽古台の横手である。
「これはご師範でござりますか」葉之助は初々《ういうい》しく恭《うやうや》しく石渡三蔵へ一礼し、「私、鏡葉之助、お見知り置かれくだされますよう。また本日はお稽古中お邪魔《じゃま》にあがりましてござります」
「おお鏡のご養子でござるか」
 煙草《たばこ》の煙りを口からフワリ……これが三蔵の挨拶《あいさつ》である。さすが代稽古をするだけに腕前は勝《すぐ》れてはいたものの、その腕前を鼻にかけ、且《か》つ旋毛《つむじ》の曲がった男、こんな挨拶もするのであった。
 あちこちでクスクス笑う声がする。

         四

 しかし葉之助は気にも掛けず端然と坐って膝に手を置いた。それからジロリと構内を見る。どうして沈着《おちつ》いたものである。
 葉之助が現われるとほとんど同時にバタバタと稽古は止めになったので、構内には竹刀の音もない。変に間の抜けた様子であったが、つと[#「つと」に傍点]進み出たのは近藤|司気太《しきた》、
「鏡氏、一本お稽古を」
「いや」と葉之助は言下に云った。「二、三本どうぞお見せくだされ」
「へへえ、さようで」
 と近藤司気太妙な顔をして引っ込んだが、これは正に当然である。ご覧なされと引っ張り込んで置いて誰も一本も使わないうちにさあ[#「さあ」に傍点]立ち合えと云うのであるからポンと蹴るのは理の当然だ。
「偉いぞさすがは鏡家の養子」葉之助|贔屓《びいき》の連中はさもこそ[#「さもこそ」に傍点]とばかり溜飲《りゅういん》を下げた。
「ふん、チョビスケの近藤め、出鼻から赤恥をかかされおって」
 しかし一方若侍どもは悠々|逼《せま》らざる葉之助の態度を面憎《つらにく》いものに思い出した。
「誰か出て二、三本使ったらどうだ」
「しからば拙者」「しからば某《それがし》」
 五組あまりバラバラと出た。
「お面」「お胴」「参った」「まだまだ」
 ポンポンポンポン打ち合ったが颯《さっ》とばかりに引き退いた。
「おい近藤、行ってみるがいい」
「あいよあいよ」と厭《いや》な奴またノコノコ出かけて行き、「鏡氏、一本お稽古を」
「アッハハハハ」と大きな声で突然葉之助は笑い出した。
 近藤司気太驚くまいことか! 眼ばかりパチクリ剥《む》いたものである。
「剣術のお稽古とは見えませぬな。まるで十二月《ごくげつ》の煤掃《すすはら》いのようで、アッハハハ」とまた笑ったが、
「真剣のお稽古拝見したいもので」
「へへえ、さようで」と器量の悪い話、近藤司気太引き退ったが、「いけねえいけねえ拙者は止めだ。どうも俺には苦手と見える」
「生意気至極《なまいきしごく》、その儀なれば」と、若侍ども本気で怒り十組ばかりズカズカと進み出たが、烈《はげ》しい稽古が行われた。それが済むと白井誠三郎ツカツカ葉之助の前へ行き、
「あいや鏡氏、葉之助殿、ご迷惑でござりましょうが、承《うけたま》わりますれば貴殿には小野派一刀流、ご鍛錬とか。一同の希望《のぞみ》にもござりますれば一手ご教授にあずかりたく、いかがのものにてござりましょうや」
「本来私はこの場にはお稽古拝見に上がりましたもの、仕合の儀は幾重にも辞退致さねばなりませぬが剣道は私も好むところ、且つは再三のお勧めもあり……」
「それではお立ち合いくださるか?」
「未熟の腕ではござりまするが……」
「それは千万|忝《かたじ》けない」
 してやったり[#「してやったり」に傍点]とニタリと笑い、「して打ち物は?」
「短い竹刀を……」
「しからばご随意にお選びくだされ」
 ワッと一同これを聞くと思わず声を上げたほどである。
 つと[#「つと」に傍点]立ち上がった葉之助はわずか一尺二寸ばかりの短い竹刀を手に握ると仕度《したく》もせず進み出た。
「あいや鏡氏、お仕度なされ」
 見兼ねたものかこの時初めて石渡三蔵が声を掛けた。
「私、これにて充分にござります」
「面も胴も必要がない?」
「一家中ではござりまするが流儀の相違がござります。他流試合真剣勝負、この意気をもって致します覚悟……」
「ははあさようかな。いやお立派じゃ……ええとしからば白井氏も、面胴取って立ち合いなされ」
「これはどうもめんどう[#「めんどう」に傍点]なことで」
 白井誠三郎不承不承に面や胴を脱いだものの、ここで三分の恐れを抱いた。
 居流れていた門弟衆も、これを聞くと眼を見合わせた。
「何んと思われるな佐伯氏? この試合どう見られるな?」「ひょっと[#「ひょっと」に傍点]するとアテが外れますぞ。相手の勢いがあまりに強い」「藪《やぶ》をつついて蛇を出したかな」
 葉之助贔屓の連中はこれに反して大喜びだ。
「見ておいでなされ白井誠三郎、一堪《ひとたま》りもなくやられますぜ」「全体あいつら生意気でござるよ。こっぴどい[#「こっぴどい」に傍点]目に合わされるがよい」
「静かに静かに、構えましたよ」
「どれどれ、なるほど、青眼ですな……おや白井め振り冠りましたな」
「葉之助殿の位取り、なかなか立派ではござらぬか。あれがヒラリと変化すると白井誠三郎|刎《は》ね飛ばされます」

         五

 今や葉之助は中段に付けて、相手の様子を窺《うかが》ったが問題にも何んにもなりはしない。で、葉之助は考えた。
「かまうものか、ひっぱたいて[#「ひっぱたいて」に傍点]やれ」
 トンと竹刀を八相に開く。誘いの隙でも何んでもない。まして本当の隙ではない。それにもかかわらず誠三郎は、「ヤッ」と一声打ち込んで来た。右へ開いて、入身《いりみ》になり右の肩を袈裟掛《けさが》けに軽く。そうして置いてグルリと廻り、
「小野派一刀流五点の序、脇構えより敵の肩先ケサに払って妙剣と申す!」
 ちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]と手口を説明したものだ。鮮かとも何んとも云いようがない。ひっぱたいて[#「ひっぱたいて」に傍点]置いてひっぱたいた[#「ひっぱたいた」に傍点]順序をひっぱたいた[#「ひっぱたいた」に傍点]人間が説明する。もうこれ以上はない筈《はず》である。
「参った」
 と誠三郎は声を掛けたが、声を掛けるにも及ばない話。溜《たま》りへコソコソと退いた。
「わっ!」とどよめきが起こったが、拍子抜けのしたどよめきである。
「山田左膳。お相手|仕《つかまつ》る!」
「心得ました。お手柔かに」
 ピタリと二人は睨み合った。左膳は目録《もくろく》の腕前である。しかし葉之助には弱敵だ。「かまうものか。やっつけろ。ええと今度は絶妙剣、そうだこいつで片付けてやれ」
 形が変わると下段に構えた。誘いの隙を左肩へ見せる。
「ははあこの隙は誘いだな」切紙《きりかみ》の白井とは少し違う。見破ったから動かない。はたして隙は消えてしまった。と、今度は右の肩へチラリと破れが現われた。
「エイ!」と一声。それより早く、一足飛びこんだ葉之助、ガッチリ受けて鍔元《つばもと》競《せ》り合い、ハッと驚くその呼吸を逆に刎ねて体当り! ヨロヨロするところを腰車、颯《さっ》と払って横へ抜け、
「小野派一刀流五点の二位、下段より仕掛け隙を見て肩へ来るを鍔元競り合い、体当りで崩《くだ》き後は自由、絶妙剣と申し候《そうろう》!」
 またもちゃあん[#「ちゃあん」に傍点]と説明されたものだ。
「参った!」これも紋切り型。
 今度は誰も笑わなかった。人々はちょっと凄くなった。二太刀を合わせたものはない。実に葉之助の強さ加減は人々の度胆を抜くに足りる。
「天晴れの腕前感心致してござる。未熟ながら拙者がお相手」
 こう云ったのは石渡三蔵で、上段の間からヒラリと下りると壁にかけてあった赤樫《あかがし》の木剣、手練《てだれ》が使えば真剣にも劣らず人の命を取るという蛤刃《はまぐりば》の太長いのをグイと握って前へ出た。
「拙者木剣が得意でござればこれをもってお相手致す。貴殿もご随意にお取りくだされい」
「いえ、私は、これにて結構」
「ほほう、短いその竹刀でな?」
「はい」と云ってニッと笑う。
「さよう
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