下さいやした。どういう風の吹き廻わしか。中納言様にもお目通り致し、今日は可い日でございましたよ。……尾行《つ》けて来なさるとは先刻承知、ナーニ実はわっち[#「わっち」に傍点]の方から、此処までご案内したんでさあ。此処はね、旦那、わっち[#「わっち」に傍点]に執っちゃァ[#「ちゃァ」は底本では「ちやァ」と誤記]、住居でもあれば工場でもあり、隠家でもありやァ[#「ありやァ」はママ]本陣でもあるんで。……が、一番似つかわし[#「つかわし」に傍点、傍点位置はママ]いのは、矢張り工場という言葉でしょうね。まあご覧なせえ向うの部屋を」
六
香具師はペラペラ喋舌《しゃべ》り立った。九兵衛はすっかり煙に巻かれ乍ら、隣の部屋へ眼を遣った。まさしく其処は工場であった。大工の道具一式が、整然として並べられてあった。そうして巨大な檜丸太が幾十本となく置いてあった。
模型は其部屋で作るのらしい。が、それは可いとして、煙突のような黒い物と、壁から突き出た鉄棒とは、一体何ういう物なのだろう?
「城内の旦那のご入来だ。せめてお茶でも出さずばなるめえ」
こう云い乍ら香具師は、天井から下っている一筋の糸を、グイと掴んで引っ張った。と、天井からスルスルと、茶器を載っけた丸盆が、身揺ぎもせず下りて来た。
「おおおお鉄瓶はどうしたえ。湯が無けりゃァ茶は呑めねえ」こう云い乍ら香具師は、もう一筋の糸を引いた。と、鉄瓶が下りて来た。
「男ばかりじゃァ面白くねえ。ひとつ別嬪を呼びやしょう」
云い乍ら香具師は手を延ばし、背後の壁の一点へ触れた。と其処へ穴が開き、一人の女が現れ出た、全身がブルブル顫えていた。その歩き方も不自然であった。
「お花さんえ、さあお坐り」ポンと香具師は畳を打った。同時に女はベタリと坐った。その坐り方も不器用であった。
そこで九兵衛は眼を据えて、じっと女を観察した。何んのことだ人間では無い。木で作った人形なのであった。
「お目見得は済んだ。帰ったり帰ったり。[#「。」はママ]」復もやポンと畳を打った。その拍子に立ち上り、女は壁の方へ辷って行った。そうして元の穴へ身を隠した。と音も無く壁が閉じた、糸筋ほどの継目も見えない。
「おっ、畜生! 来やがったな!」どうしたものか香具師は、俄に叫ぶと居住居を直し、煙突形の円筒へ、斜めに篏め込まれた鏡面をグッとばかりに睨み付けた。驚いた九兵衛も首を延ばし、これも鏡面を覗き込んだ。
何が其処に写っていたか? 紫陽花色の月光が、鏡一杯に溢れていた。その中に一人の人間が、首を傾げ乍ら立っていた。それは戸外の光景であった。鏡に写った人物は、八十余りの老人で、胴服を着し、伊賀袴を穿き、夜目に燃えるような深紅の花を、一茎《ひとくき》右手に持っていた。
「気色の悪い爺く玉だ! 毎晩家の前に立ちやァがる[#「立ちやァがる」はママ]」香具師は呻くように呟いた。「それにしても綺麗な花だなあ。見たことのねえ綺麗な花だ。焔が其尽凍ったような花だ。……おや、裏手へ廻りやァがる[#「廻りやァがる」はママ]。へ、篦棒《べらぼう》! 負けるものか!」
円筒に取手が付いていた。その取手をキリキリと廻わした。連れて円筒がグルリと廻った。家の裏手の光景が、鏡の面へ現れた。
その老人は屋根を見上げ、何やら思案に耽っているらしい。と、そろそろと表へ廻った。そこで香具師は取手を廻わした。尚老人は考え込んでいた。
「どうも彼奴ァ俺の苦手だ。構うものか毒吐いてやれ」
香具師はヒョイと手を延ばし、壁から突き出された鉄棒を握り、端に付いている漏斗形の口へ、自分の口を持って行った。
「おお爺さん、何をしているんだ。借家を探すんじゃァあるめえし、ためつすがめつ[#「ためつすがめつ」に傍点]人の家を毎晩毎晩何故見るんでえ。用があるなら這入って来な。用がねえなら帰るがいい。気にかかって仕方がねえや。それともお前は泥棒なのか。アッハハハ泥棒にしちゃあ少し年を取り過ぎていらあ。八十の熊坂って有るものじゃァねえ。なんの嘘をつけ[#「つけ」に傍点]熊坂なものか! 昼トンビの窃々《こそこそ》だろう! おっと不可ねえ晩だっけ、晩トンビなんてあるものじゃァねえ。どっちみち好かねえ爺く玉さね。帰ってくんな。帰れってんだ! それとも用でもあるのけえ。お合憎様ご来客だ。今夜は不可ねえ、出直して来な」
すると戸外の老人の声が、空洞《うつろ》の鉄棒を伝わって、すぐ耳元で話すかのように、明瞭部屋の中へ聞えて来た。
「お若えの、お若えの……」変に気味の悪い声であった。
「糞でも喰らえ! 巫山戯《ふざけ》やがって! 四十の男をとらまえて、お若えのとは何事だ! 尤もお前よりは若えがな」
「花をやろう、珍らしい花だ」
「ままにしやがれ! 仏様じゃァねえ! 花を貰って何んにする」
「珍らしい花だ。眠花だ。唐土渡来の眠花だ」
「唐土渡来の眠花だって?」香具師はチラリと眼を顰《ひそ》めたが「折角だが用はねえ」
「お若えの、お若えの」老人の声は尚つづいた。「天主で聞える唸り声! 止すがいい、一人占めはな!」
七
「む」と香具師は息を詰めた。
途端に写っていた鏡面の、老人の姿がフッと消えた。後には蒼茫たる月光ばかりが、鏡一杯に溢れていた。
小林九兵衛の報告を聞くや、尾張中納言宗春は、ひどく香具師へ興味を持った。
そこは豪放活達の彼で、香具師を城内へ召すことにした。使者の役は九兵衛であった。さぞ喜ぶかと思いの他、香具師は迷惑そうな顔をした。
「ご領主様のお召しとあっては、お断わりすることも出来ますめえ。だが条件がございます。先ず扮装は此儘の事。次に言葉も此儘のこと、どうも坐ると足が痛え、で、胡座《あぐら》を掻かせて下せえ。それから話は直答だ。これで可ければ参りやしょう」
これには九兵衛も驚いて了った。一旦城へ引き返し、宗春侯の御意を訊いた。
「名人気質、却って面白い。かまわないから連れて参れ」
そこで九兵衛はかしこまって[#「かしこまって」に傍点]、ふたたび香具師を訪れた。
「へえ然うですかえ、感心だなあ。流石はご三家の筆頭だ。どうもお心の広いことだ。ようがす、夫れじゃァ参りやしょう」有り合う布呂敷へ模型を包んだ。「こいつあ殿様へのお土産だ。喜んで下さるに違えねえ。只の模型じゃァ無えんだからな」ヨイショと背中へ引担いだ。駕籠へ乗れと進めても、いっかな香具師は乗ろうとしない。表門からは通せない裏門へ廻われと九兵衛が云うと、香具師は不機嫌な顔をした。
「不浄な人間じゃァあるめえし、なんで裏門から通るんですい。面倒臭えなあ俺は帰る」
とうとうこんなことを云い出して了った。そこで玄関から上ることにした。広大華麗な城内の様子も、一向香具師には感じないと見え、平気でノシノシ歩いて行った。通された部屋は孔雀の間で、襖から欄間から衝立から、孔雀の絵模様で飾られていた。
出て来たのは宗春であった。
「おお香具師か、よく参った」宗春は気軽に声を掛けた[#「。」なしはママ]「胡座を掻け、寛ぐがいい」そうして自分も胡座を掻いた。
「よいお天気でございます」香具師はペコンと辞儀をしたが「何かご用がござんすそうで?」
「うん」と云ったが宗春は、じっ[#「じっ」に傍点]と香具師へ眼を付けた。「お前の名は何というな?」
「へい、多兵衛と申します」
「おお模型かな、その包は?」
「へい、さようでございます」
「ひとつそいつ[#「そいつ」に傍点]を見せてくれ」
「ようがすとも、お見せしましょう。見せるつもりで持って来たんで」
取り出したのは鳩の模型、畳へ置くと懐中から、一掴みの豆を取り出した。
「観音様の使者め。鳩が豆を拾います」云い乍ら颯と豆を蒔いた。と鳩がピョンピョン飛んで、後から後から豆を拾った。
「面白く無いな。子供瞞しだ。もっと面白い模型は無いか」
「ようがす、それじゃァ〈透視光〉だ」こう云い乍ら取り出したのは格恰の機械であった。まず形は長方形、内部は黒く塗られていた。一方の口は硝子張り、反対の口は板で張られ、中央に小さい穴があった。ところで外見からは解らなかったが、角筒の内部の一箇所に薄い板の仕切りがあり、その真中に鳥の羽根を張った、四角な穴が穿たれていた。
「唐土発明の透視光、一切人間の胎内が解る……おお九兵衛さん手をお出しな。……おっと宜しい夫れで結構。あっ、不可ねえ、障子を開けたり。お手をお日様に向けるんだ。……さて殿様ご覧なせえ。肉を透して骨が見える」
そこで宗春は顔を差し出し、一方の穴から覗いて見た。いかさま九兵衛の指の肉が、ボッと左右に薄れて見え、骨が鮮かに認められた。
「さて此度は殿様の番だ」
こういうと香具師は機械を持ち換え[#「持ち換え」は底本では「持ち換へ」と誤記]、宗春の胸へ硝子口を向けた。
「お心の中が解ります。善心があれば善心が見え、悪心があれば悪心が見える。もし夫れ謀叛心がある時は、その謀叛心が写って見える。好色の心は赤く見え、惨忍の心は黒く見える。これ即ち透視光の威力。どれ拝見いたしやしょう」
「無用だ!」と宗春は威丈高に叫んだ。それから侍臣を返り見た。
「これお前達は隣室へ立て!」
バラバラと侍臣達は席を立った。
と宗春は刀を取り、ブッツリ鯉口を指で切った。
ジリジリと進んで睨み付けた。
「唐土渡来とは真赤な偽! これ貴様は邪教徒であろう! 白状致せ吉利支丹であろう!」
八
香具師は微動さえしなかった。透視光の穴へ片眼をあて、じっと[#「じっと」に傍点]宗春を見詰めていた。
「アッハハハ駄目の皮だ。殿様の心が写って見える。お前さんにァ切る気はねえ。嚇すつもりだということが、ちゃあんと透視光に写っている。……え、なんですって、吉利支丹ですって? 冗談云っちゃァ不可ません。そんなものじゃァございませんよ。唐土渡来の建築術で。……ヘッヘッヘッヘッ切りましたね。プッツリ鯉口を切りましたね。そんな事にゃァ驚かねえ。余人は知らず此わっち[#「わっち」に傍点]にゃァ殿様の心は解っていやす。よしんばわっち[#「わっち」に傍点]に解らずとも、透視光の面に書いてある。大丈夫だよ、抜きゃァしねえ。……お止しなせえましそんな真似は。……が、待てよ、こいつァ不思議だ! 真黒の物が写って見える。おっ、こいつァ殿様の心だ! ううむ偖は殿様には。……アッハハハ心配無用必ず素破抜きゃァしませんからね。ははあ成程そうだったのか。そういう心があったので。それでわっち[#「わっち」に傍点]を嚇したんですね。大丈夫でげす大丈夫でげす。決して云いふらしゃァしませんよ。……尤もこいつ[#「こいつ」に傍点]を云いふらしたひにゃァ、日本国中大騒動だ。煙硝蔵が開かれる。鎧甲が櫃から出る。旗指物が空に舞う。矢弾がヒューヒュー空を飛ぶ。ワーッ、ワーッと鬨の声だ。江戸と名古屋と戦争だ! おっとドッコイ云い過ぎた! そこまで云うんじゃァ無かったっけ。……が。併しだねえ殿様、芝居は止めようじゃァございませんか。刀は鞘に納めた方がいい。お互いその方が安穏でげす。但しほんとにお切んなさるなら、わっち[#「わっち」に傍点]の方にも覚悟がある。やみやみ殺されはしませんよ。と云うのは此機械だ」
透視光をポンと投げ出すと、布呂敷包へ手を掛けた。取り出したのは鉄製円筒、一本の管が付いていて、横手に捩が取り付けられてあった。
「即ち孔明水発火器! 捩を捻ると水が出る。が、只の水じゃァねえ。火となって燃える大変な水だあの赤壁の戦で、魏《ぎ》の曹操の水軍を焼討ちにしたのも、此機械だ! さあ切るなら切るがいい。切られた途端に捩を捻る。一瞬の間に大火事だ! 結構なお城も灰燼だ。お前さんだって黒焦げだ。家来方は云う迄もねえ、可愛いお神さんもお坊ちゃんも、無惨や無惨や白骨だ! さあ切るならお切りなせえ……考えて見りゃァ脆えものさ。人間なんていうものはね! 素晴らしいのは機械だよ! が、その機械は誰が作った? 同じ人間だから面白え。人間が考えて作った機械それが人間を殺すんだからな! そこらが矛盾と
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