いうものだろう。一旦作られた其機械は、機械として精々と進歩する。そうして人間をやっつける[#「やっつける」に傍点]! [#底本では「!」の後の全角スペースなし]だがそんな事ァどうでもいい。切るか切らねえか二道だ! おい大将、どうしてくれるんだよう!」
ノサバリ返った態度には、大丈夫の魂が備わっていた。
尾張中納言宗春は、じっと様子を見ていたが、莞爾と笑うと刀を置いた。
「これ香具師、もっと進め」
「へい」
と恐れず進み出た。
「よく見抜いたな、俺の心を」
「それじゃァ矢っ張り江戸に対して?」
「が、先ず夫れは云わぬとしよう。……さて、そこで頼みがある。どうだ香具師、頼まれてくれぬか」
「わっち[#「わっち」に傍点]の力で出来ますなら?」
「お前の器量を見込んで頼むのだ。お前でなければ出来ない仕事だ」
「見込まれたとあっては男冥利、ようがす、ウントコサ頼まれましょう。……で、お頼みと仰有るは?」
「うむ、他でもない、城の縄張」
「ナール、城の縄張で」
香具師は小首をかしげたが、
「どこへお築きでございますな?」
「どこへ築いたら可いと思う?」
「成程、こいつあ尤だ。そいつから考えるのが順当だ。……壁に耳あり、喋舌っちゃァ不可ねえ。こいつァひとつ掌《てのひら》でも書きやしょう」
「おお夫れがいい。では俺も」
二人は掌へサラサラと書いた。
「よいか」
「ようがす」
「それ是だ」
パッと掌を見せ合った。
さながら符節を合わせたように、二人の掌には同じ文字が、五個鮮かに記されていた。
居附づくり
というのであった。
九
爾来香具師は名古屋城内へ、自由に出入り出来ることになった。
人を避けて二人だけで――即ち宗春と香具師とだけで、密談する日が多くなった。そうして度々宗春は、香具師と連れ立って城外へ出た。二人は彼方此方歩き廻わった。何うやら、地勢でも調べるらしい。
時々酒宴を催した。いつも其席へ侍《はべ》るのは、他ならぬ愛妾お半の方であった。
何んの理由とも解らなかったが、不安の気が城内へ漂った。家来達は心配した。併し誰一人諫めなかった。それは諫めても無駄だからであった。活達豪放の宗春には、家老といえども歯が立たなかった。宗春以上の人物は、家来の中には居なかった。米の生る木を知らぬというのが、大方の殿様の相場であった。ところが宗春は然うで無かった。極わめて[#「極わめて」はママ]世故に通じていた。うかうか諫言《かんげん》など為ようものなら、反対にとっちめられて[#「とっちめられて」に傍点]了うだろう。
徳川宗家からの附家老、成瀬隼人正をはじめとし、竹越山城守、渡辺飛騨守、石河東市正、志水甲斐守、歴々年功の家来もあったが、傍観するより仕方なかった。
それに諫言するにしても、これと云ってとっこに[#「とっこに」に傍点]取るような眼に余る行跡も無いのであった。「素性も知れぬ香具師などを、お側へお近付けなされぬよう」「女歌舞伎[#「歌舞伎」は底本では「歌舞枝」と誤記]の太夫などを、側室にお使いなされぬよう」――精々こんなようなことでも云って、諫言するより仕方なかった。だが三家の筆頭で六十二万石[#「六十二万石」はママ]の大々名が、どんな妾を抱えようと、香具師のようなお伽衆を、大奥へ入れて酒宴しようと構わないと云えば夫れまでであった。
「ご微行をお控え遊ばすよう」こう諫言をした所で「今に始まったことでは無い」と、一蹴されれば夫れまでであった。
「怪しい香具師を近付けられ、何をご密談でございますな?」――まさか家来の身分として、此処まで立ち入って訊くことは、遠慮しなければならなかった。
傍観するより仕方がなかった。
しかし何うにも不安であった。
よりより家来達は相談した。
「香具師の素性を調べようではないか」「お半の方の素性にも、何んとなく怪しい節がある。これも調べる必要がある」「何をご密談なさるのか、それを立聞く必要がある」「何処へご微行なさるのか、これも突き止める必要がある」
そこで家来達は手分けをし、専門に調べることにした。みんな結局徒労に終った。香具師の素性もお半の方の素性も、掻暮見当が付かなかった。微行毎に尾行を付けたが、何時も巧妙に巻かれて了った。密談立聞きに至っては、殆ど絶対に出来そうも無かった。広い座敷の真中に坐り、四方の襖を開け放しそこで小声で話すのであった。近寄ることさえ出来なかった。
傍観するより仕方無かった。
真相の不明ということは、物の恐怖を二倍にする。
城内を罩《こ》めている不安の気持が、よくそれに宛嵌まった。
で、家来達は次第々々に、神経質になって行った。
搗てて加えて、天主閣では例の奇怪な唸き声が、此頃益々烈しくなった。
こうして時が経って行った。
だが其中家来達は、意外なことを知ることが出来た。お半の方と香具師とが、同じ穴の貉《むじな》では無く香具師としてはお半の方を憎みお半の方としては香具師を憎み、互に競って宗春公へ、中傷しているということであった。
そうして是は事実であった。
或夜寝所でお半の方は、宗春に向かってこんなことを云った。
「妾《わたし》を可愛いと覚し召したら、香具師をお退け下さいますよう」
「何故な?」と宗春は不思議そうに訊いた。
「これということもございませんが、何んだか妾にはあの男が、気味悪く思われてなりません。可く無いことが起こりましょう。どうぞお退け下さいまし」
その翌日のことであった。香具師が宗春へこんなことを云った。
「婦人に御不自由もございますまい。あのご寵愛のお半の方だけは殿、お退けなさりませ」
「何故な?」と宗春は不思議そうに訊いた。
「これということもございませんが、何んだか俺《わたし》にはあの婦人が変に小気味悪く思われましてな、可く無いことが起こりましょう。殿お退けなさりませ」
宗春に執っては可笑しかった。
「二人で寵を争っているな。アッハッハッハッ莫迦な話だ」
で、歯牙にも懸けなかった。
一〇
春が逝って初夏が来た。花菖蒲の咲く頃になった。庄内川には鮎が群れ、郊外の早苗田では乙女達が、※[#「※」は「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2−13−28、72下−5]秧の業にいそしむようになった。
間もなく五月雨の季節となった。
屋敷町の中庭などに、カッと赤い柘榴の花が、こぼれるばかりに咲いているのが、暑い真夏を予想させた。
やがて土用の季節となった。ムッチリと肥えた名古屋女が、白地の単衣に肉附を見せ、蚊遣の煙の立ち迷う、水縁などに端居する姿の、似つかわしい季節が訪れて来た。夕顔の花、水葵、芙蓉の花、木槿《むくげ》の花、百合の花が咲くようになった。
そういう季節の或日のこと、香具師《やし》はフラリと家を出て、野の方へ散歩した。
野には陽炎《かげろう》が立っていた。夏草が塵埃を冠っていた。小虫がパチパチと飛び翔けた。気持のよい微風が吹き過ぎた。ひどく気持のよい日であった。
児玉を過ぎ、庄内村を通り、名塚を越すと土手であった。
眼の下に広い川が流れていた。それは他ならぬ庄内川であった。川には橋がかかっていない。渡船《わたし》を渡らなければならなかった。で彼は渡船を渡った。
もうこの辺は春日井の郡で、如何にも風景が田舎びていた。
一宇の屋敷が立っていた。
「はてな?」
と香具師は立止まった。「うむ」と彼は唸り出した。「これは素晴らしい屋敷だわい。四真相応大吉相の図説に、寸分隙無く叶っている。右に道路、左に小川、南に池、北に丘、艮《うしとら》の方角に槐樹のあるのは、悪気不浄を払うためらしい。青々とした竹林が、屋敷の四方を囲んでいるのは、子孫に豪傑を出す瑞象だ。正門の左右に橘を植えたは、五臓を養い寿命を延ばす、道家の教理に則ったものらしい……どれ、間取りを見てやろう」
南方の丘へ上って行った。
建物は幾棟かに別れていた。
中央に在るのは主屋らしい。香具師は夫れから観察した。
「うん中の間が九六の間取だ。金生水の相生で、万福集川諸願成就繁昌息災を狙ったものらしい。つづいて五三の間取がある。家内安寧の間取というやつだ。うん夫れから三八の間取が、即ち貴人に寵せられ、青雲に登るというやつだ。ええと夫れから九八の間取、九は艮で金気を含み、八は坤《ひつじさる》で土性とあるから、和合の相を現している。主屋と離なれ別棟があり、白虎造りを為している。楡と※[#「木+危」、第4水準2−14−64、73下−10]《くちなし》を植えたのは、火災を封じたものらしい。向き合った一棟が朱雀造りで、梅と棗を植えたのは、盗賊避けから来たものらしい。やや離れて玄武造り、杏と李を植えたのは、悪疫流行を恐れたものらしい。それと向かい合った一棟は、云わずと知れた青竜造りだ。桃と柳を植えたのは、狐狸の災いから遁れるためらしい。西北の隅に土蔵がある。しかも二棟並んでいる。辰巳の二戸前というやつだ。主人の威光益々加わり、眷族参集という瑞象だ。おやおやあれ[#「あれ」に傍点]は何だろう?」
俄に香具師は眼を見張った。
土蔵の横手に見たことも無い、変な建物があったからであった。屋根が陽を受けて光っていた。この時代に珍らしい硝子張りであった。屋根が硝子だということが、先ず香具師を驚かせた。建物は正しい長方形で、間口は凡一間半、それに反して奥行は、十間もあるように思われた。鰻の寝所とでも云い度いような、飛び離れた長い形であった。建物は青く塗られていた。
「驚いたなあ」と香具師は云った。「こんな建物は家相には無い。折角の瑞象をぶち壊している。一体どうしたというのだろう」
万般が法則に叶っていて、それ一つだけが破格だけに、彼には不思議でならなかった。
「納屋で無し厩舎で無し、湯殿で無し離座敷でなし、どういう用のある建物だろう?」
どう考えても解らなかった。
「不|躾《しつけ》乍ら訪問して見よう」
彼はこう思って丘を下りた。表門は厳重に鎖されていた。しかし潜戸が開いていた。構わず内へ這入って行った。森閑として人気が無かった。可成り大きな屋敷だのに、人の姿の見えないというのは不思議と云えば不思議であった。玄関に立って案内を乞うた。
「ご免下さい。ご免下さい」
どこからも返辞が来なかった。尚二三度呼んで見た。矢張り返辞は来なかった。香具師は些か当惑した。
「裏の方にでもいるのだろう」
裏の方へ廻って行った。だが誰もいなかった。
ひっそりとして寂しかった。
近所に家は一軒も無かった。
香具師は次第に大胆になった。例の奇形な建物の方へ、ズンズン足早に進んで行った。
建物の戸口が開いていた。で彼は這入って行った。
一一
一歩踏み入った香具師は「やっ」と云って眼を見張った。
長方形の建物一杯、天上の虹でも落ちたかのように、紅白紫藍の草花が、爛漫と咲いていたからであった。
建物は仕切られていなかった。端から端まで見通された。左右の壁に棚があり、それが階段を為していた。その上に大小無数の鉢がズラリと行儀よく並べられてあり、それが一つ一つ眼眩くような、妖艶な花を持っているのであった。
部屋の恰度真中所に、一基の寝台が置いてあり、その上に老人が横臥っていた。八十歳あまりの老人で、身に胴服を纏っていた。手に煙管を持っていた。それは非常に長い煙管で、火盞が別して大きかった。
香具師は老人をじっと見た。
「あっ」とばかりに仰天した。見覚えのある老人だからで。――
「おっ、お前か、爺く玉奴!」香具師は声を筒抜かせた。
「お若いの、よく見えた」老人は寝台から起き上った。「無作法な奴だ、爺く玉だなんて言葉を謹め、若造の癖に」こうは云ったが老人は、別に怒ってもいないようであった。
「驚いたなあ」と香具師は、部屋の中を見廻わした。
「何んだい一体この部屋は?」
「流石のお前にも解らないと見える。教えてやろうか、南蛮温室だ」
「え、何んだって、南蛮温室だって? で、一体何んにするものだ?」
「ごらん
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