若武士なのである。信長の大切の命を受け、京へ急《いそ》いでいるところであった。
天正七年春の午前、湖水の水が膨らんでいる。水藻の花が咲いている。水鳥が元気よく泳いでいる。舟が通ると左右へ逃げる。だがすぐ仲よく一緒になる。よい天気だ、日本晴れだ、機嫌よく日光が射している。
舟はズンズン駛《はし》って行く。軽舟《けいしゅう》行程半日にして、大津の宿まで行けるのである。
矢走《やばせ》が見える、三井寺が見える、もう大津へはすぐである。
とその時事件が起こった。どこからともなく一本の征矢《そや》が、ヒュ――ッと飛んで来たのである。舟の船首《へさき》へ突っ立った。
「あっ」と仰天する水夫《かこ》や従者、それを制した右近丸は、スルスルと近寄って眺めたが、
「ほほうこいつは矢文だわい」
左様、それは矢文であった。矢羽根から二三寸下ったところに、畳んだ紙が巻き付けてある。
矢を引き抜いた右近丸はクルクルと紙を解きほぐすと、スルスルと開いて見た。
「南蛮寺の謎手に入れんとする者信長公|一人《いちにん》にては候《そうろう》まじ、我等といえども虎視耽々、尚その他にも数多く候」
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