」」は底本では「妾の好きなお侍さん」。」]
 それから巫女は意味ありげに笑った。
「さあお遣りよ、急いで輿を!」
 松火で森を振り照らし、スタスタと奥へ行ってしまった。



 信長の居城|安土《あづち》の城、そこから乗り出した小舟がある。
 春三月、桜花《おうか》の候、琵琶の湖水静かである。
 乗っているのは信長の寵臣、森右近丸《もりうこんまる》と云って二十一歳、秀でた眉、鋭い眼、それでいて非常に愛嬌がある。さぞ横顔がよいだろう、そう思われるような高い鼻、いわゆる皓歯《こうし》それを蔽て、軽く結ばれている唇は、紅を注したように艶がよい。笑うと左右にえくぼ[#「えくぼ」に傍点]が出来る。色が白くて痩せぎすで、婦人を想わせるような姿勢ではあるが、武道鍛錬だということは、ガッシリ据わった腰つきや、物を見る眼の眼付で解《わか》る。だが動作は軽快で、物の云い方など率直で明るい。どこに一点の厭味もない。まずは武勇にして典雅なる、理想的|若武士《わかざむらい》ということが出来よう。
 かの有名な森|蘭丸《らんまる》。その蘭丸の従兄弟《いとこ》であり、そうして過ぐる夜衣笠山まで、巫女を追って行った
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