字であった。
「成程」と呟いたが右近丸は些少《いささか》驚いた様子であった。「俺の用向きを知っていると見える。俺を嚇そうとしているらしい。これは用心をしなければならない。何者がどこから射たのだろう」四辺《あたり》を見廻したが解《わか》らなかった。たくさん舟が通っている。帆船もあれば漁船もある。商船《あきないぶね》も通っている。だがどの舟から射たものやら、少しも見当が付かなかった。
「さあ、舟遣れ、水夫《かこ》ども漕げ」
 そこで小舟は駛《はし》り出した。

 その同じ日の夕方のこと――ここは京都四条坊門、南蛮寺が巨然と聳えている。その周囲は四町四方、石垣の中に作られたは、紅毛ぶりの七堂伽藍。金銀を惜まぬ立派なものだ。
 夕《ゆうべ》の鐘が鳴っている。讃美歌の合唱が聞こえている。
 「アベ マリア! ……アベ マリア!」
 美しい神々しい清浄な声!
 ボーン! 梵鐘! 神秘的の音!
 それらが虚空へ消えて行く。
 この南蛮寺の傍らに、こんもり庭木にとりかこまれた、一軒の荒れた屋敷があった。
 この頃|京都《みやこ》で評判の高い、多門兵衛《たもんひょうえ》という弁才坊(今日のいわゆる幇間《
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