胸へ抱きかかえた。
 と、窓から人形を、猪右衛門へ渡したものである。
 両手で受け取った猪右衛門は謂うところの北叟笑《ほくそえみ》、そいつを頬へ浮かべたが、「これで取引は済みました。ではお嬢様え、ご免なすって」
「可愛い人形でございます、大切に扱って下さいまし」
 永年の間傍へ置き、慣れ馴染んで来た人形である。それが売られて行くのである。それが人手へ渡るのである。二度と持つことは出来ないだろう。二度と逢うことは出来ないだろう。――こう思うと民弥には悲しいのだろう、こう寂しそうに声をかけた。
「かしこまりましてございますよ。大切に扱かうでございましょう。ヘッヘッヘッヘッ帰るや否や、腹を立ち割り胎内の……アッハッハッハッ嘘でございますよ。ナーニ早速よいお家へ、売り渡すことにいたします。と、綺麗なお姫様の、玩具《おもちゃ》になることでございましょう。いや人形にとりましても、こんな廃屋《あばらや》にいるよりは、どんなにか出世というもので、オット又もや口が辷った。ご免下さい。ご免下さい」
 駄弁を弄して猪右衛門は花木の間を大跨に歩き、往来の方へ出て行ったが、ちょうどこの頃森右近丸は、南蛮寺を出外れた四条通り[#「四条通り」は底本では「四条り通」]を、考えに耽りながら歩いていた。

14[#「14」は縦中横]

 四条通りは寂しかった。人の往来《ゆきき》も稀であった。右近丸は歩いて行く。夕陽が明るく射している。家々の蔀《しとみ》が華やかに輝やき、その代り屋内が薄暗く見え、その屋内にいる人が、これも薄暗く暈《ぼ》かされて見える。焚香《ふんこう》[#ルビの「ふんこう」は底本では「ふんかう」]の匂いなどもにおってくる。
 右近丸は歩いて行く。
 と、俄《にわか》に足を止めた。「解《わか》った!」と呻くように云ったものである。「『くぐつ』とは人形の別名だ。傀儡《くぐつ》だ傀儡だ! 人形のことだ! 『てんせい』というのは眼のことだろう。画龍点睛《がりゅうてんせい》という言葉がある。龍を画《えが》いて眼を点《てん》ずる! この点睛に相違ない。『しとう』というのは『指頭《しとう》』のことだろう。指先ということに相違ない。『きようだ』というのは『強打』なんだろう。強く打てということなんだろう。――人形の眼を指の先で、強く打てという意味なのだ。そうしたら例の唐寺の謎の、研究材料の有場所が、自ずと
前へ 次へ
全63ページ中26ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング