寺の謎は胎内の、肺臓の中に蔵してあろうぞ」と、
 そこで人形を断ち割って、その肺臓をしらべた処、一葉の紙のあったこと、そうしてその紙に次のような、数行の文字が書いてあったこと、
「多聞兵衛《たもんひょうえ》死せる場合、決して死骸を焼く可《べか》らず、左右の胸を調ぶ可《べ》きこと、一切の謎おのずから解けん」
「その肝心の多聞兵衛殿は、気の毒な変死をした上に、南蛮寺へ葬られてしまった。左右の胸を調べるとなると、なるほど土から掘り出さなければならない。大変な役目を引き受けたものだ」
 右近丸は都へ下って行く。
 都へ入ったのは間もなくであった。
 夜分は南蛮寺はとざされている。
 翌朝行かなければならなかった。
 そうして翌朝行った時、驚くべきことが発見された。
 死んだと思っていた多聞兵衛が、死なずに活きていたのである。
 のみならず娘の民弥までいた。
「おお民弥殿!」
「右近丸様!」
 抱き合ったのは云う迄もない。

 唐寺の謎は解かれたか? いや解くことは出来なかった。多聞兵衛が拒否したからで、こう兵衛は云ったそうである。
「わしは南蛮寺の教義について、とんでもない誤解をしていたよ。だが南蛮寺に数日いて、その誤解を知ることが出来た。よい教えだ、立派なものだ。そうしてオルガンチノ司僧をはじめ、寺中の人達も立派なものだ。で、わしは帰依をする。わしもこの宗旨の信者になる。で、秘密は明かされない」
 そうして絶対に多聞兵衛は、胸を見せなかったということである。いやいや見せないばかりではなく、その胸の上へ焼金をあて、火傷《やけど》をさせたということである。でそこに何かが書いてあったとしても、今は全く解《わか》らない。
 で南蛮寺の謎なるものは、遂に世人には知れなかったのである。
 で、唐姫も信長も、けっきょく南蛮寺から何物をも、奪い取ることが出来なかった。
 風船仕込みの毒薬は、強烈な催眠剤であったそうな。
 しかしそれにしても唐寺の謎とは、どういう性質のものなのであろう?
 天文《てんもん》十八年|西班牙《スペイン》僧ザビエル、この者が日本へ渡来して、吉利支丹《きりしたん》宗教を拡めようとした。その際ザビエルは今日の価値《あたい》にして、五億円に近い黄金を、持参したということであり、その金ははたして布教一方に用いる、浄財と認めてよいだろうか? それとも宗教に名を藉《か》りて
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