、日本侵略を心掛け、その工作に用いる金! そういう金ではあるまいか? これが一つの謎であった。
 更にその後《のち》京都の地に、南蛮寺、即ち唐寺が建てられ、その五億円の黄金が、その唐寺の内に秘蔵されたそうだが、唐寺の何処に秘蔵してあるか[#「唐寺の何処に秘蔵してあるか」に傍点]? これが二つ目の謎であった。
 そうしてこれら二つの謎を集め、総称して「唐寺の謎」と云い、その謎をひそかに解いた上、その黄金を手に入れようとして、織田信長や唐姫の徒や、香具師《やし》の猪右衛門や玄女たちが、苦心惨憺したのであった。
 弁才坊事多聞兵衛は、吉利支丹そのものを邪法と認め、五億円の黄金は日本侵略の金と信じ、その金の在り場所を発見し、それを信長に告げ知らせ、その功によって家を再興しよう――こう思って唐寺の附近に住み、唐寺へ絶えず出入し、その才智と胆略とで、その黄金の在り場所を探り、謎をすっかり解いたのであった。しかしその秘密を紙などへ書いては、盗まれる憂いがあるというので、唐寺から窃取した薬品を以て、自分の胸へ焼きつけて、身を以て秘密を保ったのであった。
 しかるに弁才坊は猿若によって、一時仮死の状態にされた。
 それを唐寺のオルガンチノ僧正が、唐寺へ引取り介抱し、その間吉利支丹宗旨なるものの、邪宗でないことを説明したので、弁才坊は翻然悟り、黄金の在場所を未来永劫、他人に知らせないようにしたのであった。
 その翌年の春が来た時、右近丸と民弥との結婚式が、織田信長の仲人の下に、安土城内において行なわれた。その客の中には改心をした猿若が、可愛らしいお小姓の姿をして、嬉しそうに雑っていた。栄達を嫌い隠遁をし、吉利支丹宗徒となった弁才坊も、この日は特に美々しく着飾って、出席したことは云う迄もない。
 洛中洛外にはびこっていたところの、姦悪の人買の連中を、信長が指揮して根絶やしにしたのは、それから間もなくのことであり、その中には桐兵衛一味がいて、いずれも捕らえられて殺された。
「処女造庭境」に蟠踞《ばんきょ》していた唐姫の一党はどうしたか?
 信長に楯突くの非を悟り、関東の方へ居を移し、広大な山間の地域を領し、女ながらも大豪族として、永く栄えたということである。



底本:「国枝史郎伝奇全集 巻三」未知谷
   1993(平成5)年3月20日初版発行
初出:「少女倶楽部」
   1927(昭
前へ 次へ
全63ページ中62ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング