沼に懇望され、その妾《めかけ》になろうとしたこと、可愛い恋人と切れたこと、妾《めかけ》になることが止めになったこと、今日呼び出しを掛けたところ、恋人が昨日屋敷を出たきり、今に帰って来ないこと――一切合切打ち明けた。
 左伝次は黙って聞いていたが、その顔には曖昧な、混乱したものが現われた。
「その人の名は何んというな?」やがて左伝次はこう訊いた。
「白旗弓之助様と申します」
「うむ、お旗本で白旗か……。小左衛門殿のご縁辺かな?」
「そのお方のご次男様で」
「では確か北お町奉行、曲淵様とはご親戚のはずだが」
「はい叔父甥の仲だそうで」
 左伝次はじっ[#「じっ」に傍点]と考え込んだ。「昨日から行方が不明なのだな?」
「はいさようでございます」
 ここで左伝次はまた考えた。
「弓之助殿のご様子は? つまり容貌風采だな」
「色白の細面《ほそおもて》、中肉|中身長《ちゅうぜい》でございます」
「うむ、そうして腰の物は?」
「あの細身の蝋鞘の大小……」
「うむ、そうしてご定紋は?」
「はい丸に蔦《つた》の葉で」
 すると左伝次はヒョイと立った。
「お色殿ちょっとこっち[#「こっち」に傍点]へおいで
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