馬のように走り出た。其後から続いて走り出たのは懐剣を振り翳したお信乃である。
「あっ!」
と主水は思わず叫んだ一刹那、其場に立ち竦んだが、次の瞬間には身を躍らせて其山伏に飛び掛かって行った。
併し夫れは無駄であった。山伏は颯と身を浮かせ、空へ蝙蝠《こうもり》のように飛んだかと思うと、深い谷間へ飛び込んだのである。
其夜から始めて十日余も勿論主水自らも探がし人を頼んで探がさせもしたが、松太郎の行衛は知れなかった。
それを苦にして女房のお信乃は其夜からどッと床に就いたが、一月も経たずに嘆き死んだ。
重ね重ねの不幸である。どのように勇猛の人間でも気を落とさずには居られない。
さすがの主水も此日頃殆ど物を云わなくなった。彼は日夜考えてばかりいた。[#「ばかりいた。」は底本では「ばかりいた」]近所の農夫や福島の朋輩や死んだお信乃の親里などでは、彼の境遇に同情して、いろいろ慰めの言葉を掛けたり新らしく妻を世話しようなどとも云った。
しかし主水はそんな時只寂しく笑うばかりで慰められた様子も無く、新妻を迎えようとも云わなかった。
その中突然彼の姿が、奈良井の里から見えなくなった。
彼
前へ
次へ
全17ページ中7ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング