武士時代の朋輩も訪ねて来るし、近所の農家からは四季折々の配物などを貰いもするし、それに女房の実家というのが近郷第一の富豪ではあり、生活には不自由しなかった。美しい男振に想を懸け、進んで嫁いで来たお信乃であるから、彼への貞節は云う迄も無い。子供の松太郎も美しく生い立ち、前途の憂などは更に無かった。
 しかし此儘彼の生活が平穏無事に過ぎ行くとしたら物語に綴る必要は無い。果然意外の災難が彼の一家に降って湧いた。
「近頃不思議の人攫いが徘徊するということだ」―「五才迄の子を攫って行くそうだ」
 斯ういう噂の立ったのは夏も終りの八月のことで、噂は噂だけに止どまらず、実際幾人かの五才迄の子供が数々《しばしば》行衛が不明になった。
「夜は早く戸閉りをして、松太郎を外へ出さぬようにせよ」或日主水は斯う云い置いて藪原の宿まで用達しに行った。用を果たし路を急いで、家近く帰って来た時には、もう丑の刻を過ごしていた。星月夜の下に静もっている自分の住居を眺めた時には何んとなく心が穏かになった。
 突然妻の悲鳴が聞えた。と木戸口が蹴破られ、軒の高さよりも尚身丈の高い、腹突出した大山伏が、三才の松太郎を小脇に抱え、
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