嗄れた女の声で「もしもし」と彼を呼ぶ者がある。声のする方へ眼をやると、足を高く空へ上げ両手を確かりと地上へ突き、其手を足のように働かせながら歩み寄って来る女があった。蒼褪めた顔、乱れた頭髪、しかも胸から血をしたたらせ、食いしばった口からも血を流している。
「もし旅の和尚様、暫くお待ち下さいまし」
斯う云い乍ら近寄って来たが、
「どうぞ妾を背に負って川を渡して下さいまし」――思い込んだように云うのであった。
「いと易い依頼ではあるけれど……一体お前は何者だな?」
「此世の者ではござりませぬ。妾《わらわ》は幽霊でござります」
「その幽霊は解って居る。何の為めに此世へは現れたぞ?」
「はい、怨ある人間が此世に残って居りますゆえ…」
「それへ怨を返えしたいというのか!」
「仰せの通りでございます」
「折角の頼みではあるけれど、お前を負って川を渡ることはこの俺には出来かねる。人を助けるのが出家の役目だからの」
云い捨てて阿信は歩き出した。
四
「もし」と幽霊は尚呼びかけた。「せめて和尚様の突いて居られる其自然木の息杖でも残して行っては下さりませぬか」
「杖ぐらいなら進ぜようとも
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