し! 一刻も早く!」
「はい」と云うと走り去った。
 なお、女は立っている。
「あいつのお蔭だ! ……大塩中斎《おおしおちゅうさい》! ……お気の毒な貢《みつぎ》様! ……妾までこんな目に逢っている。……」
 血刀が鈍く光っている。
「一世の碩学[#「碩学」は底本では「硯学」]、貢の巫女……それから伝わったこの教法……滅ぼしてなろうか! 滅ぼしてなろうか!」
 柏屋を飛び出た岡引の松吉は、この頃往来を走っていた。


16[#「16」は縦中横]

 だが、十間とは走らなかった。柏屋と斜めに向かい合い、表門の一所に桐の木を持ち、黒板塀に蔽われた、宏大な屋敷が立っていたが、ちょうどそこまで走って来た時、一つの事件にぶつかっ[#「ぶつかっ」に傍点]てしまった。
 と云うのは二階の障子が開き、武士の姿が現われたが、松吉を目掛けて腕を振り、同時に障子を閉じたのである。
 昼の日を貫き一閃したは、投げられた小柄に相違ない。同時にピシッと音がした。
 すなわち岡引の松吉が、走りながらの神妙の手練、懐中の十手を引き抜くと、見事に払って捨たのである。
「うむ、やったな! 鮫島大学!」
 叫んだ時には数間
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