である。
 自分自身が真っ先に立ち、混乱の巷へ押し出した時、一人の乞食が走って来たが、チラリ大学を横目で見ると、掠めるようにして馳せ違った。
「はてな、彼奴《きゃつ》は?」と鮫島大学は、背後の方を振り返ったが、もうその時には乞食の姿は、暴徒に紛れて見えなかった。
 しかし乞食は立ち去ったのではない。大学の屋敷の裏手の方に、身を潜《ひそ》めていたのである。
 と板壁へ手をかけた。そうして次の瞬間には、屋敷の内側へ飛び込んでいた。
 探すものでもあるのだろう。足音を盗んで入って行く。
 一つの部屋の前へ来た時である。唄うような女の声がした。
 扉を押しひらいた乞食の上州は、
「お妻殿か!」
「たあれ、貴郎《あなた》は?」
 上海《シャンハイ》風の部屋の中に、上海風の寝台があり、上海風の阿片食《アヘンくい》のお妻が、阿片の吹管を抱きながら洞然とした眼で見詰めている。
「拙者でござる。探しに来ました! ……それでもとうとう目つかった! ……ああそれにしても変わられたことは! ……」
 凝然として突立った。
「これが支部長の令嬢か! これが俺の許嫁《いいなずけ》か! 生ける死骸だ! 生ける死骸だ
前へ 次へ
全109ページ中102ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング