馳せ違い行き違い切り仆す。
いよいよ周章《あわ》てた一ツ橋勢、館へ逃げ込もうとしたのだろう、分かれていたのが一つに集まり、表門の方へ走り出した。
四十四
と、その一団が馳せ付けた時、表門から一手の勢《ぜい》が、丸く塊《かた》まって現われた。
冷泉華子を真ん中にし、南部集五郎を先頭に立てた、一ツ橋家の新手の勢で、その数およそ三十人もあろうか、逃げ込もうとする味方の勢を、押し返すようにして現われたのである。
「やあ方々何事でござる!」こう叫んだのは集五郎である。
「相手は鼠賊、たかが七、八人、討ち取るに手間隙は入らぬ筈、逃げ込むなどとは沙汰の限り、引っ返しなされ、引っ返しなされ!」
これに勇気づいた一ツ橋勢は、グルリ振り返ると喊声を上げ大波のように引っ返した。
「引っ包んで討って取れ!」
「逃がすな逃がすな縛《から》め取れ!」
グルグルグルグルと包囲した。
取り込められた七福神組は、いかに行動が敏捷でも、敵の人数は十倍にも余る、多勢に無勢、敵《かな》うべくもない。
「しまった!」
「やられた!」
「どうしたものだ!」
「とにかく一所へ集まろう!」
「頭《かしら》はどうした」
「桔梗様は」
互いに呼び合い注意し合ったが、駈け隔てられ追い詰められ、一所になることも出来なければ、頭の松代や桔梗様を、探し出すことも出来なかった。
「もうこうなっては仕方がない! 死ねや死ねや、切り死にをしろ!」
そこで六人六方へ分かれ、飛び込んでは叩っ切り、引っ返しては叩っ切る。
全く混戦となったのである。
月光は益※[#二の字点、1−2−22]冴えて来た。四方《あたり》が明るく暈けて来た。
その中で乱闘が行われている。
あっちに一団、こっちに一団、切り結んでいる影が見える。
サ――ッと一組が走り出す。サ――ッと一組が追っかける。
組と組とがぶつかり[#「ぶつかり」に傍点]合う。
ヒュ――ッと笛の音がする。
そっちへ走《は》せ付ける人の影!
と、すぐに太刀の音!
混戦! 混戦! 混戦! 混戦!
四十五
次第に時間が経って行く。
時間が経つに従って、一ツ橋勢が益※[#二の字点、1−2−22]気負い、七福神組がそれに反し、気萎《きな》えするのは当然と云えよう。
こうして間もなく七福神組は、一人残らず討ち取られるだろう。
しかしその時意外の事件が、忽然として勃発した。
まず凄じい鬨《とき》の声が起こり、つづいて太刀音が消魂《けたたま》しく起こり、一ツ橋勢の一角が、見る見る中に崩されたのである。
田安家の武士達が到着し、一ツ橋勢の横手から、この時切り込んで来たのである。
こうして一層の混戦が、展開されることになった。
と、その混戦の場を抜き、一挺の駕籠が飛んで来た。
衆に守られた冷泉華子、それの前から数間の手前、そこまで来た時駕籠が止まり、スルスルと現われたものがある。
「華子さん!」と云ったが妙子であった。「貰いに来ましたよ、桔梗様を!」
「妙子さんか!」
と冷泉華子は、驚いたように進み出たが、「勝手に連れて行くがいいよ。妾は知らぬよ。その生死は!」
「ついでに貰うものがある」妙子は一足踏み出したが、「永生の蝶さ! こっちへおくれ!」
「駄目だよ!」と華子は突っ刎ねた。「お気の毒だが上げられないよ」
「取って見せるよ。腕ずくでね」
「面白いねえ。取れたらお取り」
「どれ」
と云うと北王子妙子は、腰の辺《あた》りを探ったが、ヒュ――ッと何物かを空へ投げた。
小さな小さな二つの車輪、そいつを棒で繋《つな》いだようなもので、瓢《ふくべ》と云った方がよいかも知れない。
クルクルクルクルと空で舞う。
と、何んという不思議だろう、冷泉華子の懐中から、キリキリ舞い立ったものがある。それは永生の蝶であった。
「おっ」
と叫んだは冷泉華子で、肩に掛けていた袋よう[#「よう」に傍点]のものを、ドッサリと地上へ投げ付けた。と、その背中がムクムクと動き、パックリ口をあけたかと思うと、ヒラヒラヒラヒラと気を吐いた。
もうその頃には車輪よう[#「よう」に傍点]のものは、空から地の上へ落ちていたが、袋よう[#「よう」に傍点]のものと向かい合い、独楽鼠《こまねずみ》のように廻わり出した。
その中間の虚空では、蝶がグルグルと舞っている。
どっちへ行くことも出来ないと見える。飛び去ることも出来ないと見える。
それを眺めている女方術師の、北王子妙子と冷泉華子とは、身動き一つしようとさえしない。
まさに変わった光景と云えよう。
だがそういう光景に対し、何んのかかわるところもなく、混戦は引き続いて行われていた。
と、その混戦の場を抜け、一人の女が彷徨《さまよ》っていた。
気絶から醒めた桔梗様である。
フラフラフラフラと歩いて行く。
まるっきり意識などなさそうである。無我夢中でいるらしい。何か口の中で呟いている。
「どうしたのだろう? 解らない! ……切り合っているよ! 恐ろしい! ……妾はどうしたらいいのだろう? ……逃げなければならない! 逃げなければならない! ……」
フラフラフラフラと歩いて行く。
どこへ行こうとするのだろう? 自分にも解っていないらしい。どこへ行くのが至当なのだろう? 自分にも解っていないらしい。
館の方へ歩いて行く。裏門の方へ歩いて行く。
これこそ正気でない証拠である。
恐ろしい恐ろしい館ではないか! 彼女を捕えて苦しめた、敵の住んでいる館ではないか! それだのにそっちへ行こうとする。
フラフラフラフラと歩いて行く。
どうして誰もが止めないのだろう? 弁天松代はどうしているのか? やっぱり戦っているものと見える。
桔梗様はフラフラと歩いて行く。
とうとう裏門から入り込んだ。
ザ――ッ、ザ――ッと音がする。
滝の落ちている音である。
そっちへ桔梗様は歩いて行く。
「綺麗な滝! 落ちているねえ」
佇《たたず》んで桔梗様は眺めやった。
石造りの建物がある。その一所に窓がある。そこから滝が落ちている。一式小一郎を葬って、垢離部屋を一杯に充たした水が、窓から落ちているのである。
「落ちているねえ。……綺麗な滝が!」
――とその時声がした。
「桔梗様! 桔梗様!」
滝の中からしたのである。
「どなたか妾を呼んでいるよ」
――その時滝の水を分け、ヨロヨロと現われた人影があった。全身水に濡れている。おお水死人の幽霊だ!
「あああなたは?」
「小一郎でござる!」
「一式様か!」
「桔梗様!」
抱き合ったとたんに鬨の声が、館外にあたって響いたが、つづいて叫び声が聞こえて来た。
「山尼《やまあま》だ! 山尼だ! 山尼だ!」
と、裏門からムラムラと、一ツ橋勢が逃げ込んで来た。
「や、汝《おのれ》は!」とその中の一人が、一式小一郎へ切りかかった。
「まだ生きていたか! どうして遁がれた!」
危くヒョロヒョロと小一郎は、身を反《か》わせたが苦しい声で、
「ナ、南部か! 集五郎!」
桔梗様はフラフラと歩き出した。
「小一郎様! 小一郎様! お逃げなさりませ、お逃げなさりませ」
フラフラフラフラと裏門を出た。
「桔梗様!」
と小一郎は、足もと定まらず追おうとする。
そこを背後《うしろ》から集五郎は、肩を目掛けてただ一刀!
それから一月の日が経った。女馬子の引く馬に乗り、一人の武士が旅をしていた。
四十六
秩父連山の中腹であり、武士は一式小一郎で、そうして女馬子は君江であったが、その同じ日に三浦三崎の方へ、八人連れの旅人が、事ありそうに歩いていた。
隅田のご前を前後に守り、七福神組の連中が、目立たぬ旅の装いをして、密《ひそ》かに歩いて行くのであった。
だがもし仔細に見たならば、大工や行商人や、修験者や、農夫や虚無僧や浪人者や、そういう者に身を※[#「にんべん+峭のつくり」、第4水準2−1−52]《やつ》した、二百人あまりの同勢が、無関心な様子はとりながらも、隅田のご前を警護して、先になったり後になったり、歩いて行くのに気が付くであろう。
すなわち英雄の俤《おもかげ》のある、隅田のご前が部下を引き連れ、三浦三崎の方角へ、密行しているものと見なければならない。
隅田のご前は例によって、悠々寛々たる態度をもって、弁天松代を相手とし、剽軽《ひょうきん》な口を利いている。
「いやはやいやはや偉いことになったぞ、こんな俺のようないい年をした者が、草鞋穿《わらじば》きでテクテク三浦三崎などへ、出て行かなければならないのだからなあ。……そうは云ってもよい景色だの。一方は海岸一方は野原、秋草も綺麗に咲いているわい」
葵の紋服など着ていない。無紋の単衣《ひとえ》にぶっさき[#「ぶっさき」に傍点]羽織、自然木の杖をついている。顔を見られるのを嫌ったからだろう、編笠を目深に冠っている。
「そうは云ってもひょっと[#「ひょっと」に傍点]かすると、今度は大騒動になるかもしれない。私は騒動は嫌いでな。わけてもちっぽけ[#「ちっぽけ」に傍点]な日本国内で、いがみ[#「いがみ」に傍点]合うことなどは大嫌いだよ。……と云ってもどうも今度ばかりは、うっちゃって置くことは出来そうもないよ……。何しろこの私の兄にあたる、昆虫館主がやられる[#「やられる」に傍点]のだからなあ……。そうは云っても一方から云えば、私にはこの旅が面白いのさ。久しぶりで兄弟と逢えるのだからなあ。……お前達にとっても楽しかろうよ、変わった建物が見られるのだからな。昆虫館という建物さ。……がその代わり間違うと、それこそ本当に腥《なまぐさ》い、死山血河の大修羅場が、演ぜられることになるだろうよ。いやそうなったらお前達が力だ、思い切って腕を揮ってくれ」
「かしこまりましてございます」こう云ったのは松代である。道行《みちゆき》を着てその裾から、甲斐絹の甲掛《こうがけ》を見せている。武家の娘の旅姿で、歩き方なども上品にしている。「ご前のおためでございましたら、どのようなことでもいたします」充分謹んだ言葉つきである。
「ご前という言葉はよくないなあ。お爺さんとでも呼ぶがいい。人目を避けての旅だからな」
「はいはいそれではお爺さん」
「それがよろしい、さて娘や」
こんな具合に話して行く。
こうして一同|関宿《せきやど》まで行き、それから森林を分け上り、昆虫館まで行くのであろうが、この頃小一郎と君江とは、例の秩父の中腹を、上へ上へと辿っていた。
「例によりましてあなたの位置は、お気の毒様でございますなあ」こう云ったのは小一郎である。
それに答えて君江が云う。「大してそうでもございません」
馬の足掻《あが》きがパカパカと聞こえ、そうして鈴の音がシャンシャンと鳴る。
少し秋めいた夏の陽が濃緑の葉を明かるめている。人通りがないので寂しいが、それだけに長閑と云ってもよい。
「そうではないとおっしゃっても、やっぱりそんなようでございますよ」小一郎の調子は軽かったが、それは努めての軽さであり、本当の心持ちは重いのである。「桔梗様を目付けに行きますので」
「はいはいさようでございますとも」君江の調子も軽かった。そうしてこれは雑《まざ》り気《け》のない、心からの本当の軽さらしい。「桔梗様を目付けに行きますので。そうして是非とも桔梗様を、お見付けしなければなりません」
「だが」と小一郎は気の毒そうに、「いよいよ桔梗様が目付かったとして、どうなりましょうな、あなたの位置は?」
「何んの変わりがありましょう。おんなじ位置でございますよ」君江は少しも動じようとしない。そんなようにこだわらず[#「こだわらず」に傍点]に云うのであった。
「さあはたしてそうでしょうか?」小一郎の方が心配そうである。「変わるだろうと思いますよ」
「何んの変わりがありましょう」君江には自信があるようである。「妾《わたし》の心が変わりませんもの」
「そういう私の心持ちも、昔と変わっていませんので。と云うのは昔から
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