いくらか真面目になった。「人を助けに行くのだよ」
「人を助けに? 怪しいものさ」
「綺麗な綺麗な娘をね」
「ふうん、何んだか解るものか」
「そうして叱りに行くのだよ」
「だんだん解らなくなって来た」
「妾の家来でありながら、その妾を裏切って、よくないことをやっている、二人を叱りに行くのだよ。……鯱丸!」と俄然いかつくなった。
「船をお廻わし、陸の方へ! 街道の方へお近付け!」
「はい」と云ったが神妙であった。鯱丸はグ――ッと綱を引いた。ハタハタハタ、ハタハタハタと、方向が変えられた幾個の帆は風を孕んで靡いたが、筏船は素早く方向を変え、街道筋の方へ辷り出した。
 と、間もなく街道が――東海道の陸の影が、遙かにぼんやりと見えて来た。
「鯱丸」とまたも命令的に、「さあさあ松火《たいまつ》へ火をおつけ!」
 カチッ! と燧《ひうち》石の音がした。すぐにボ――ッと火が立った。鯱丸が松火を点したのである。
「およこし」と云ったが老婦人は、松火を取ると頭上へかざし、二、三度グルグルと渦を描いた。
 と、どうだろう、それに答えて、陸から松火の桃色の火が、一点ポッツリと見えたではないか。
 何者かそこにいると見える。
 何者どころではない行列なのであった。
 頭髪《かみ》こそ削《そ》らずに切り下げとして、肩へ掛けてはいたけれど、無地の鼠の衣裳の上へ、腰衣《こしごろも》を纒い袈裟をかけた、尼の一団が足並みを揃え、その数およそ三、四十人、トットと走っているのであった。
 有髪の尼僧の一団なのである。
 筏船に乗っている老婦人も、全く同じ姿であった。鼠の無地の衣裳を着、黒の腰衣を纒っていた。そうして袈裟を掛けていた。その袈裟ばかりは金襴である。松火の火に照り返り、まばゆいまでに美しい。美しいといえばその顔も、随分美しいものであった。男のような高い鼻、凛々しく引き締まった大型の口、延び延びと引かれた長い眉、それより何より特色的なのは「神秘」という言葉を如実に示した、大きくて、窪んで、光が強くて、そうしてともすれば残忍にさえ見え、そう見えるために美しい弓形をした眼であった。血色もよく皺もない。が老女には相違なかった。肩を蔽うている切り下げ髪が、白金のように白くもあれば、眉毛さえも白金のように白いのだから。

        四十二

 火を吹き消した有髪の老尼は「鯱丸」とまたも命令的に云った。
「これでよろしい、方向《むき》をお変え! 芹沢を目指して一直線! 乗っ切れ、乗っ切れ、さあ乗っ切れ!」
 方向を変えた筏船は、帆鳴りの音を響かせて、しんしんしんしん[#「しんしんしんしん」に傍点]と走り出した。
 有髪の老尼は何者であろう?
 街道を走って行く尼の行列は、どういう身分の者だろう?
 もちろん今は解らない。
 とはいえ両者は味方らしい。
 そうして両者の行先は、芹沢の郷に相違ない。
 とにかく水陸呼応して、奇怪な尼僧の一団が、月の明るい更けた夜を、走り走って行くのである。

 ここは芹沢の郷である。七福神組の怪盗七人が、一ツ橋勢に遮られた。
 ドッとあがったは喊声である。一ツ橋家の武士どもが、同音にあげた喊声である。と、同時にキラキラと、月にきらめく[#「きらめく」に傍点]もの[#「月にきらめく[#「きらめく」に傍点]もの」は底本では「月にきらめ[#「にきらめ」に傍点]くもの」]があった。彼らの構えた太刀である。
 グ――ッと一列に押し列《なら》び、来い! 通さぬ! と構えたのである。
「先廻わりをされたよ、残念だねえ! しかしナーニびくつく[#「びくつく」に傍点]ものか!」こう云ったのは松代である。
「さあさあみんないつもの手だ! 卍《まんじ》廻わりに押し廻わり、突き破って行こう、切り抜けて行こう!」
「合点」と云ったのは六人の部下で、で、グルグルと廻わり出した。
 卍廻わりとは何んだろう? 彼ら独特の戦術なのであった。手組輿《てくみごし》の上へ桔梗様を乗せ、群像のように塊《かた》まった。七福神組六人が、塊まったままで廻わるのであった。まず左へグルグルと廻わる。それから右へグルグルと廻わる。それからまたも左へ廻わり、それからまたも右へ廻わる。これを無限に繰り返すのである。そうしてそのように廻わりながら、先へ先へと進むのである。廻わる間も進む間も、右手の太刀を前方へ突き出し、それを上下へシタシタと戦《そよ》がせ、敵を寄せ付けまいとするのである。
 ただし頭《かしら》の松代ばかりは、一団から離れて先頭に立ち、「左へお廻わり! 右へお廻わり!」こんなように指揮するのである。
 今やグルグル廻わり出した。
 何という変わった見物《みもの》だろう?
 月が上から射している。で、白刃がキラキラする。輿の上にいる桔梗様は、蒼白い顔を月光に曝らし、廻わされるままに廻わっている。ダラリと下がった両袖が、廻わるに連れて翻《ひるが》えり、風を孕んでハタハタと鳴る。蝙蝠《こうもり》が翼を振るようである。
 背後《うしろ》には館が立っている。黒々と立っている態《さま》が、異国の魔塔を想わせる。
 右手に煙っているものは、月光に暈《ぼか》された海である。
 何んだろう、あれは、点々と、左手に見える赤いものは? 芹沢の里の燈火《ともしび》である。
 依然行手には一ツ橋勢が、抜き身を揃えて並んでいる。
 それらのものに囲まれた、深夜の広い野の上で、群像が廻わっているのである。
 そうして先へ進むのである。
 変わった見物《みもの》と云わざるを得ない。
 と、松代が声を上げた。
「さあさあ右へお廻わりよ!」
 群像は右へ廻わり出した。
「今度は左だ! 廻わったり!」
 群像は左へ廻わり出した。
 白刃が光る、足が揃う、群像がグルグル渦を巻く。
「お進みお進み、さあお進み!」弁天松代の指揮である。
 廻わりながら群像は進み出した。
 凛々《りり》しい松代の姿である。裾をキリキリと取り上げている。両袖を肩で結んでいる。深紅の蹴出《けだ》しから脛《はぎ》が洩れ、脛には血汐が着いている。たくし上げられた袖から抽《ぬ》きでて、二の腕まで腕が現われている。それにも血汐が着いている。手に握ったは白刃である。中段に構えて押し進む。
 廻わる群像! 進む群像! 指揮をして走って行く弁天松代!
 タッ、タッ、タッ、タッと押し進む。
 一ツ橋家の武士たちが、胆を潰したのは当然と云えよう。全くこんな戦術は、かつて見たことも聞いたこともなかった。
 切り込んで行こうにも行きようがない。取り抑えようにも抑えようがない。迂濶《うかつ》に切り込んで行ったが最後、六本の太刀の幾本かが、同時に落ち下るに相違ない。また抑えようとしたところで、群像の行動は素ばしっこい[#「ばしっこい」に傍点]、容易に抑えられるものではない。
 多勢を頼んで遮ってはみたが、進みもならず一様に、後へ後へと引くばかりであった。
 七福神組は進んで行く。一ツ橋勢は引き退く。
 結果はどうなることだろう?
 そうは云っても一ツ橋家の武士にも、全然勇士がないことはなかった。果然、一人、月光を刎ね、猛然と群像へ切り込んだ。だがその結果は無残であった。それと見て取った七福神組は、一斉に刀を振り上げたが、廻わりながらの薙《な》ぎの手だ、サ――ッとばかりに振り下ろした。すぐに起こったは悲鳴である。つづいて起こったは仆れる音! 一本の刀に脳天を割られ、一本の刀に肩を切られ、もう一本の脇差しに肋《あばら》を刎ねられた一ツ橋家の武士が、悲鳴を上げて仆れたのである。
「こんなものだよ!」と愉快そうな声! 弁天松代が云ったのである。「乗り越せ乗り越せ! さあお進み!」ポンと死骸を飛び越した。
「合点!」と同音! 六人の部下だ。これも死骸を飛び越して、タッ、タッ、タッ、タッと押し進んだ。
 群像は進んで行くのである。依然グルグル廻わるのである。
 蒼白いは桔梗様の顔である。月に向かって曝らされている。翻えるは桔梗様の袖である。蝙蝠《こうもり》が翼を振るようだ。
 手組輿の上の桔梗様は廻わされるままに廻わっている。生死のほどは解らない。されるままになっているのである。

        四十三

 ひた[#「ひた」に傍点]走るひた[#「ひた」に傍点]走る七福神組! 芹沢の里の方へひた[#「ひた」に傍点]走る! こうして首尾よく七福神組は、桔梗様を救うことが出来るだろうか。
 いやいやそれは出来そうもなかった。
 味方の一人を目前において、討って取られた一ツ橋家の武士達は、かえって怒りを発したと見える、四、五人一度に声を掛け合わせ、同時に猛然と飛びかかって来た。
 が、その結果は駄目であった。
 七福神組の六人が、一斉に上げた六本の太刀が、廻わりながらの薙ぎの手で、サ――ッと一度に下ろされた時、数声の悲鳴がすぐ起こり、つづいて仆れる音がした。
 四、五の死骸が野に転がり、その死骸から血が吹き出し、飛沫のように散った先が、煙りのように茫と霞み、月の光を蔽うたので、月が血煙りに暈《ぼか》されて、一瞬間赤く色を変え、まるで巨大な酸漿《ほおずき》が、空にかかったかと思われたが、それを肩にした弁天松代が、
「こんなものだよ、驚いたか! 七福神組の卍廻わり、そう甲斐|撫《な》でには破れない! 相手になろうよ、幾度でもかかれ! ……乗り越せ乗り越せ! さあ進め!」死骸を向こうへ飛び越した。
「オッと合点! さあ行こうぞ!」
 群像は、形を崩さずに、松代の後に従って、死骸を向こうへ飛び越した。
 左へ廻わる。右へ廻わる。そうして先へ進んで行く。
 次第次第に一ツ橋勢は、後へ後へと押されて行く。
 だがこの時背後にあたって、ドッと喊声の起こったのは、いったいどうしたというのだろう?
 表門から走り出た、五、六十人の一ツ橋家の勢《ぜい》が、ようやくこの時追い付いたのである。
 ここに至って七福神組は、腹背敵を受けてしまった。
 と、数声弦鳴りの音が、背後にあたって聞こえたが、数本の征矢《そや》が飛んで来た。
 瞬間に上がった六本の太刀が、キラキラキラキラと閃めいたのは、矢を切り払ったためだろう。
 だが第二の弦鳴りの音! だが第三の弦鳴りの音! ひっきり[#「ひっきり」に傍点]なしに響くに連れ、唸りをなして飛んで来る征矢も、次第に繁くなって来た。
 背後から逼って来た一ツ橋家の勢が、打ち物業を故意《わざ》と避け、飛び道具で打ち取ろうとするのであった。
 それと察した弁天松代は、甲《かん》高く声を響かせた。
「さあさあみんな寝るがいい。一時息を抜こう息を抜こう!」
 声に応じて六人の部下達は、忽然姿を消してしまった。
 と云ってもちろん煙りのように、消えてなくなってしまったのではない。蒼茫たる月光を刎ね飛ばし、卍廻わりに廻わっていた、七福神組の群像が、一刹の間にバラバラに分かれ、地面へピッタリひれ伏したのである。
 桔梗様が地上へ寝かされている。傍に松代が体を伏せている。二人を中心に大円を描き、松代の部下の六人が、地面へ体を食っ付けている。で姿が解らないのである。
 が、一ツ橋家の武士達は、どうやらそうはとらなかったらしい。射掛けた征矢を一斉に喰らい、斃れたものと解したらしい。
 で、腹背の二手の勢《ぜい》は、ドッと喊声を響かせたが、思慮浅くムラムラと、七福神組へ走り寄った。
 待ち設けていたことである、弁天松代は飛び上がった。
「いい潮合いだ。やっつけろ!」
「それ!」
 と声を掛け合わせ、猛然刎ね上った六人の部下、「馬鹿め!」「くたばれ!」「思い知れ!」
 喚きを上げて飛び込んだ。
 で、太刀音だ! 仆れる音! 悲鳴に続く呻き声!
 と、バラバラと人の影が、四方八方へ別れたが、切り立てられた一ツ橋勢が、逃げて走って行く影であった。
 気勢に乗った七福神組は、追い討ちに後を追っかけたが、心配したのは松代である。
「長追いするな! 引き上げろ! 集まれ集まれ、一所へ!」
 しかし足音や喊声や、太刀打ちの音に遮られ、松代の声は通らなかった。
 六人の部下達は、追っかけ追っかけ、
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