に潰すとしよう。何んの何んの潰すんじゃアない。桔梗様を見付けて取り返すのさ。どうせ切り合いになるだろう。刀の目釘を湿すがいい。ええと合言葉は『船と輿』だ。そうは云っても乱闘となったら、チリヂリバラバラに別れるかも知れない。そうなったら仕方がない、各自《めいめい》思うさま働くがいい。そうして危険にぶつかったら[#「ぶつかったら」に傍点]、合図の手笛を吹くことにしよう。一声永く引っ張ってな。ええとそれから誰でもいい、誰か桔梗様を目付けたら、手笛を二声吹くとしよう。……さあさあ乗り込め、まず妾から」女ながらも一党の頭《かしら》、隙のない手配《てくば》りを云い渡したが、やがて土塀へ手をかけると、翩翻《へんぽん》と向こうへ飛び越した。
後の六人も負けてはいない、これも土塀を飛び越した。
宏大な庭が拡がっている。樹木や築山が聳えている。泉水も小川もあるらしい。それに介在して建物が、到る所に立っている。月光が、それを照らしている。ある建物からは人声がする。ある建物は沈黙である。
地に肚這った七福神組は、しばらく様子をうかがったが、
「オイ」と松代がまず云った。「手近の建物から調べよう」
「合点」と答えたのは六人である。もちろん掠めた声である。
眼の前に一宇の建物がある。厳重に雨戸で鎧《よろ》われている。そこは怪盗七福神組だ。そこまで素早く走ったが、神妙を極めた潜行ぶりで、葉擦れの音も立てなければ、足音一つ立てなかった。
と、松代だがピッタリと、雨戸へ耳を押しあてた。
「どうやらここは図書庫らしい。人の気勢が感じられない。紙魚《しみ》くさい匂いばかりが匂って来る」すなわち六感で感じたのだろう。「さあさあ、向こうの建物へ行こう」
そこで七人また潜行し、もう一つの建物までやって来た。と、ピッタリ弁天松代は、雨戸へ耳をおっ[#「おっ」に傍点]付けたが、「ここには四五人|人《ひと》がいる。だが一人も女はいない。何んとなく刀気が感じられる。これは武器庫に相違ないよ。随分沢山|蔵《しま》ってあるらしい。これがいつもの私達だったら、決して決して見逃しては置かない。踏ん込んで行って攫《さら》うのだが、今夜はそうしてはいられない。攫うものが他にあるのだからね。……さあさあそれでは向こうへ行こう」
行手にあたって林がある。と云っても楓の植え込みである。林のように繁っている。月光を遮って闇である。その右手に建物がある。
「まず植え込みへ隠れよう」こう云ったのは弁天松代。
「合点」と六人は頷いた。
で七人が潜行し、素早く植え込みへ身を隠した時、ザ――ッ、ザ――ッとさっきから、響を立てていた滝の音が近増《ちかま》さったのか、高く聞こえ、何んとなく凄く感じられたが、その滝の鳴る方角から、肩に月光を浴びながら、一人の武士が小走って来た。右手の建物へ行くのらしい。
それと見て取った弁天松代は「オイ」とまたもや囁いた。「侍が一人やって来る。館の住人の一人だろう。二、三人同時に飛び出して行き、有無を云わせず引っ捕え、ここへしょび[#「しょび」に傍点]いて来るがいい。桔梗様の居場所を聞いてやろう。が、いいかい間違っても、音を上げさせちゃアいけないぜ」
「おっとよい来た」と答えたのは、小頭の蛭子《えびす》三郎次である。
「それじゃア俺《おい》らも手を貸そう」こう云ったのは大黒の次郎。
「面白いの、俺も行く」こう云ったのは布袋《ほてい》の市若で、前髪立ちの美男子だ。
三十八
それとも感付かぬその侍は、植え込みの前を行き過ぎた。
とたんに飛び出した布袋の市若は、敏捷さながら猟犬のように、背後からパッと飛び付いた。同時に左腕を鈎に曲げ、侍の首へ捲き付けたのは、声を上げさせないためなのだろう。
「うまいぞ市若!」と大黒の次郎は、つづいて颯と飛び出すと、小手を揮って眼潰しだ、侍の眼の辺をひっ叩《ぱた》いた。
で、侍はひとたまりもなく、捕虜にされたかと思ったら、結果はむしろ反対であった。布袋の市若がドッサリと、まず地上に投げ付けられ、つづいて大黒が蹴仆された。非常に武道の達者らしい。だがこの侍は何者であろう?
他でもない南部集五郎で、一刀流では達人である。七福神組が怪盗でもまた行動が敏捷でも、なんのそれらにムザムザと、捕えられるようなヤクザではない。ともすると一式小一郎と、互角に勝負をするほどの、腕に覚えのある人物であった。
垢離部屋に滝の水が一杯に充ち、一式小一郎が完全に、その水に溺れて見えなくなったのを、今や充分確かめて、それを冷泉華子の耳へ、入れてやろうと崖から下り、ここまで小走って来たところであった。
「これ、誰だ!」と集五郎は、一喝声を浴びせかけた。それからグルリと見廻わして見た。不思議なことには誰もいない。たしかに二人の人間を、投げ出し蹴仆した筈であるが、どうしたものか姿が見えない。
これは見えないのが当然であった。七福神の連中と来ては、動作の素早さ身の軽さ、驚くべきものがあるのであった。で、布袋と大黒だが、投げられ蹴仆された一瞬に弾んだ毬のように刎ね上がり、刎ね上がった時には横へ反《そ》れ、闇を領して繁っている、楓の植え込みの真ん中へ、飛び込んで姿を眩ませたのである。
「可笑《おか》しいなあ」と集五郎は、刀の柄へ手を掛けながら、油断なく前後を睨め廻わしたが、自然と気配が感じられたのだろう。楓の植え込みへ眼をつけた。じっと見込んだが愕然とした。異風をした六、七人の人間が、地上に腹這い鎌首を立て、こちらを狙っている姿が、闇を一層闇にして、黒々と浮かんで見えたからである。
そこで集五郎は大音を上げた。「やあ方々お出合いなされ! 我らの秘密の道場へ、またも何者か忍び入ってござる! しかも今回は一人ではない、六、七人はおりましょう! いずれも異風の怪しい連中! 討ち取りなされ! 討ち取りなされ!」刀を引き抜くと「出ろ汝《おのれ》ら!」
ガラガラガラ! と戸を開ける音や、バタバタバタ! と走り出る音が、四方八方で聞こえたが、人影がムラムラと集まって来た。すなわち幾個《いくつ》かの建物に、閉じこもっていた武士どもが、南部集五郎の声に応じ、得物得物をひっさげて、楓の植え込みを包囲するように、一度に集まって来たのである。
「やあ方々!」と南部集五郎は云った。「曲者はそこだ、植え込みの中だ! 押し包んで一気に乱刃に、討ち取りなされ、討ち取りなされ!」
「心得てござる!」
と十五、六人は、抜いた白刃を「突き」に構え、植え込みの中へ突き行った。
「おっどうした!」「これは不思議!」「いないではないか!」
「一人もいない!」
まさしく楓の植え込みの中には、人の子一人いなかった。
駈け引き自在の七福神組達、形勢非なりと見て取るや例の神速の行動で、七人七方へバラバラと、潜行してしまったに相違ない。
正しくそれに相違なかった。
次の瞬間にあちこち[#「あちこち」に傍点]から、喚声と悲鳴とが聞こえて来た。
「ここに曲者! ……一人目付けた!」
築山の方からの声である。
「何を!」と凄い突っ刎ねる声、「斃《くた》ばりやアがれーッ」ともう一声!
つづいて「ワッ」という恐ろしい悲鳴!
七福神組の一人が、一ツ橋家の侍を、どうやら一刀に切ったらしい。
と反対の竹藪の方から、「ここにも一人! 異風の曲者!」
「うるせえヤイ!」と答える声!
すぐに続いて「ワッ」という悲鳴!
七福神組の一人に、またもや一ツ橋家の侍が、どうやら討って取られたらしい。
と、遙かに距離をへだてた、泉水のある方角から、「曲者でござる! 曲者でござる!」
すぐにチャリ――ンと太刀の音! つづいてドブ――ンと水の音!
「態《ざま》ア見やがれーッ」と言う声がした。
一ツ橋家の武士が一人、七福神組の一人に、切られて泉水へ蹴込まれたらしい。
三十九
太刀音、悲鳴、罵る声、四方八方から聞こえて来る。
と、石橋のある方角から、数人の声が聞こえて来た。「ここにも曲者」「しかも女!」「異風してござる!」「しめたしめた!」
「さあ取りこめたぞ!」「手捕りにしろ!」
「馬鹿め!」と裂帛《れっぱく》の女の声! どうやら頭《かしら》の弁天松代が、一ツ橋家の武士どもに、目付かって包囲されたらしい。
だがその次の瞬間であった、そっちの方角から一声永く、ヒュ――ッと笛の音が聞こえて来た。と、忽ち宏大の庭の、木立を揺るがせ、灌木を揺るがせ、枝葉に光っている月光を散らし、三方四方から六個の人影が、まるで小鬼でも走るように、眼にも止まらぬ素早さで、笛の聞こえた方角へ、一度に走って行くと見えたがチャリ――ン、チャリ――ンと太刀の音! 「ワッ」という、悲鳴! 仆れる音! 「船だよ!」「輿だよ!」の合言葉! 物凄じく鳴り渡ったが、間もなく女の声がした。
「もう大丈夫! さあお隠れ! そうしてお探し、桔梗様を!」
とにわかにひっそり[#「ひっそり」に傍点]となり、またもや月光を刎ね飛ばし、木を揺るがせ、木立を揺るがせ、黒々とした人の影が、七個《ななつ》散るのが見て取れた。
すなわち頭の弁天松代が、合図の手笛を吹き鳴らし、散っていた六人の仲間を集め、包囲した一ツ橋家の武士どもを、力を合わせて切り散らし、そうして再び六人の仲間に、自由の行動をとらすべく、分散させたものと思われる。
で、にわかにひっそり[#「ひっそり」に傍点]となった。が、わずかの間であった。色々の声が聞こえて来た。
「ム――」……手負いの呻き声である。「どっちへ行った? どっちへ行った?」……一ツ橋家の武士達が、七福神組の連中を、さがし廻わっている声である。
いろいろの音が聞こえて来た。
「サラサラサラ! サラサラサラ!」灌木や木立を押し分けて、走り廻わっている音である。七福神組の連中もいよう、一ツ橋家の武士達もいよう。ザ――ッ、ザ――ッ! 滝の音だ! 一式小一郎を葬って、死骸の上へ尚一層、落ち下っている滝の音だ。チャリ――ン! 太刀音! 衝突したのだ! 七福神組の連中と、一ツ橋家の武士達とが。
キラッと閃めく物がある。揮った刀や槍の穂に、月の光がぶつかった[#「ぶつかった」に傍点]のだ。
一所に石楠花《しゃくなげ》の叢があった。その叢の根にうずくまり、様子を窺っている人影があった。
ソロリと立ち上がった姿を見れば、手に小脇差しを引っ下げている。ベットリと血に濡れている。小褄をキリキリと取り上げている。その下から見えるのは、緋縮緬の長襦袢で、その裾から見えるのは白いふっくり[#「ふっくり」に傍点]とした綺麗な脛だ。髪は結綿、鬼鹿子、着ているのは黄八丈の振り袖である。が、両袖とも捲くり上げている。頭の弁天松代である。衣裳も手足も紅斑々、切られたのではない返り血だ。敵を幾人か切り斃し、その血を浴びたものらしい。
「さあてこれからどうしたものだ。うむ」と云うと合点をした。「さっき隠れた楓の植え込み、右手に立っていた一つの建物。妾にゃア何んとなく気になるよ。ひとつあそこ[#「あそこ」に傍点]を探って見よう」
これも六感で感じたのだろう、呟くと同時に弁天松代は、クルリと体の向きを変え、暗い木間を伝い伝い、その方角へ引っ返した。
四方へバラバラに散ったと見え、一ツ橋家の侍達は、その辺に一人もいなかった。「有難いねえ」と弁天松代は、サ――ッと建物へ馳せつけた。円錐形の外廓を持ち、鶴の翼を想わせるような、勾配の烈しい屋根を持った、全く独立した建物であった。その外廓は朱塗りである。屋根の瓦は緑である。月が瓦を照らしている。木洩れの月光が外廓の、諸所へ銀の斑を置いている。全体がきわめて神秘的である。グルリと欄干が取り廻わしてある。その欄干も朱塗りである。「入口はないか? 入口はないか?」松代は欄干を飛び越した。そこは廻廊である。建物について廻廊を、松代はグルリと一周した。入口だろう口があり、錦の帳《とばり》が掲げられ、掲げられた隙から紫陽花《あじさい》色の、燈火の光が射していた。「しめた!」と呟いた弁天松代は、一
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