れた侍であった。
「あッ、あなたは一式様!」
「おっ、これは桔梗様!」
二十七
さてその翌日のことである。
一式小一郎は自分の家の、自分の部屋にこもっていた。襖を締め切り黙然と坐り、じっと膝の上を見詰めている。西向きの窓から夕陽が射し、随分部屋は熱いのに、そんなことには無感覚らしい。視線の向けられた膝の上に、銀製の小さな鍵がある。だが小一郎の表情から推せば、鍵について考えているのではなく、別のことを考えているらしい。
道場の方からポンポンと、竹刀の音が聞こえて来る。弟子達が稽古をしているのであろう。
お勝手の方からコチンコチンと、器物《うつわもの》のぶつかる[#「ぶつかる」に傍点]音がする。君江が洗い物をしているのであろう。
「気の毒なものだな、あの君江は」小一郎はふっと呟いた。
「俺は逢ったのだ、桔梗様に。本当の本当の恋人に。で、君江は正直に云えば、俺には不用の人間になった。邪魔な人間になったともいえる。……がそれはそれとして、全く昨夜は意外だったよ。南部に襲われ蝶を逃がし、大川の中へ転がり落ち、負け籤《くじ》ばっかり引いたかと思うと、今度は恋人の桔梗様と
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