り」に傍点]でもあろうぞ。油断《ゆだん》して裏掻《うらか》かるるな」
 と、公綱は馬上大音に叫び、更に天王寺の東西の口より、三度までも駈入り駈入ったが、敵の姿は一人も見られなかった。
 夜がまったく明け放れた。
 事実|敵影《てきえい》はないのであった。
 多少の疑惑はあったものの、戦わざるに勝った心地がして、公綱としては歓喜|類《たぐい》なく、正成の陣営のその後へ、自身|直《ただ》ちに陣を敷き、やがて京都へ早馬《はやうま》を立て勝利の旨を南六波羅へ申しやった。
 しかるに五六日経った頃から、奇怪なことが夜々に起った。
 天王寺を遠く囲繞《いにょう》して、秋篠《あきしの》の郷や外山《とやま》の里や、生駒の嶽や志城津《しぎつ》の浜や、住吉や難波の浦々に――即ち大和、河内、紀伊の、山々谷々浦々に、篝《かがり》や松明がおびただしく焚かれ、今にも数千数万の軍勢が、寄せ来るかとばかり見えることであった。
「一旦陣は引いたが正成め、新手の大軍を猟《か》り催し、押し寄せ来る手段と見える。誠《まこと》の戦《たたかい》一度もせず、残念に思っていたところ、押し寄せ来るこそ却って幸い、迎え撃《う》って雌雄《
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