無勢とあって、両六波羅探題北條時益、同じく北條仲時によって、わざわざ関東から呼びよせられ、京都守護をまかせられた、武功名誉の公綱であった。隅田、高橋の両武将が、もろくも正成《まさしげ》のために渡辺の橋で破られ、関東の武威《ぶい》を失墜《しっつい》するや「大軍すでに利を失いました後、小勢を以て向いますること、如何《いかが》あらんかとは存じまするが、関東を罷《まか》り出でまする際、このようなお大事に巡り合い、命を軽ういたすを以て、念願といたしおりましたる私、駆《か》け向いまするでござりましょう。今の場合を観じまするに、戦いの勝敗そのものを、云為《うんい》いたす時にてはござりませぬ。何はあれ一人にても駈け向い、落ちました関東の武威を揚げますこと、肝要《かんよう》のことかと存ぜられまする」と、こう言上《ごんじょう》して向って来た公綱であった。
決死の程が想像されよう。
さて、然うドッと鬨《とき》をあげた。
然るに答える者はなく、駈け出して来る兵もなく、楠氏《なんし》の陣営には、焚《た》きすてられた篝《かがり》が、余燼《よじん》を上げているばかりであった。
「正成一流のたばかり[#「たばか
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