わず嘆息した。
「此利休の芸術には、乗ぜられる隙があると見える。風雅で固めた庭の上を、狐狸の類に荒らされるとは、さてさて不覚の沙汰ではある」
併《しか》し不覚は是ばかりで無く、もっと致命的の大不覚が、彼の身辺に起って来た。
夫は六月の十日という夏の最中のことであったが、夜更けて彼は只一人、いつもの寝間に眠っていた。
轡《くつわ》の音に眼を醒ます。これは武士の嗜である。彼は茶筌の音を聞いて、ふと真夜中に眼を醒ました。衾の上に起き上り、じっと其音へ耳を済ます。と、其音は思いもよらず隣の室から聞えて来る。
彼は思わず衾を刎《は》ねた。そしてスルリと立ち上がった。足音を盗んで襖へ寄り、細目に開けて隙かして見た。
髪を若衆髷に取上げた躯幹《からだ》の小造りの少年武士が彼の方へ横顔を見せ、部屋の真中に端然と坐わり、巧みな手並で茶を立てている。見覚えの無い武士である。
利休は武士の手元を見た。と彼は「あっ」と声を上げた。関白殿下より預けられた楢柴の茶碗で悠々と武士が茶を立てているからであった。
「曲者!」と利休は声を立てた。しかし其声は口の中で消え四辺《あたり》は寂然《しん》と静かである。彼は襖を引き開けた。それは開けたと思ったばかりで、依然として襖は閉ざされている。不動の金縛りにでも逢ったように、動くことも声を立てることも出来なかった。
其間に武士は悠々と忙《せ》かず周章《あわ》てず茶を立て終えて、心静かに飲み下した。作法に従って清め拭うや、徐《おもむろ》に茶碗を箱に納め、ふと利休の方へ顔を向けたが滴たるような笑い方をし、それからすらり[#「すらり」に傍点]と立ち上がり、二三歩足を進んだかと思うと、朦朧と姿は消えたのである。
二
その翌日のことであるが、利休は秀吉に謁を乞うた。二度の不思議を物語ってから、斯う云って彼は付け加えた。
「最初は狐狸かとも存じましたなれど、殿下お手付けの名器を恐れず、悠然茶を立てた振舞いは、大胆過ぎて正しく人間、恐らく無双の忍術家と、目星をつけましてござりますが……」
「解った」と秀吉は性急に云った。「草を分けても探がし出し、引捕らえて罰せずばなるまいぞ!」
「あいや暫らく」と夫れを聞くと、利休は急いで手を揮った。「ちと浅慮かと存ぜられまする」
「なに、浅慮じゃ? この秀吉を!」
「過言はお許し下さいますよう。名に負う左
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