「緑林黒白」によれば、彼九郎右衛門は賊では無くて、誠に熟練した忍術家であり、豊臣秀吉に重用された所の、細作、即ち隠密だそうである。
彼は度々秀吉の命で、西国外様の大名や関東徳川家などの内幕を、得意の忍術を応用して、深く探ったとも云われている。
ところで彼を秀吉へ誰が推薦したかというと、千利休だということである。夫れに関しては次のような極わめて面白い物語がある。
博多の豪商、神谷宗湛に、先祖より家宝として伝え来った楢柴という茶入があった。最初にそれを所望したのは豊後の大友宗麟であったが宗湛はニベも無く断わった。次に秋月種実が強迫的に得ようとしたが呂宋《るそん》、暹羅《しゃむ》、明国を股にかけ、地獄をも天国をも恐れようとはしない海上王たる宗湛に執っては、強迫が強迫に成らなかった。で、ニベも無く断わった。最後に夫れを望んだは他ならぬ豊臣秀吉であった。然るに宗湛は夫れをさえ、情《すげ》なく断わって了ったのである。
併し、名に負う天下人が、一旦所望したからは、いかに宗湛が強情でも遂には命に従わなければならない。斯うして遂々其茶入は、秀吉の有に帰したのである。
楢柴を得た秀吉は、勿論非常に喜んだが、そういう名器であって見れば、迂濶に左右に置くことも出来ぬ。で、利休へ預けたのである。
常時[#「常時」はママ]利休は茶博士として生きながら居士号を許された名家、且は秀吉の師匠ではあり、城内に屋敷を賜わって並び無き権勢を揮っていたが、名器楢柴を預かって以来、度々怪異に襲われるようになった。
或夜、利休は供も連れず静かに庭を彷徨っていた。さび[#「さび」に傍点]と豪奢とを一つに蒐め、彼自ら手を下して造り上げたところの庭であるから、一本の木にも一坐の山にも悉く神経が通っている。
彼は亭《ちん》の前まで来た、其横手に石燈籠が幽《かすか》に一基燈っている。
「はて」と不思議そうに呟き乍ら、彼は其前に彳《たたず》んだ。どう考えても其辺に石燈籠があるわけが無い。其処には燈籠は置かなかった筈だ。そこに燈籠のあるということは、彼の流儀に反している。
で彼は小首を傾げながら、何時迄も其前に立っていた。
すると、あやしくも、燈籠の火が、次第々々に明るくなり、空に太陽でも出たかのように庭一面輝き渡ったが、次の瞬間には忽然と消えて、今迄在った燈籠さえ何処へ行ったものか影も無い。
利休は思
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