利右衛門はふと[#「ふと」に傍点]こんなことを云った。
「はてね」と彦七は笑い声を立て、
「今更らしく何を有仰《おっしゃ》る」
「立派な寮、美しい愛妾。……卜翁様の豪奢振り、何と羨しいではござらぬかな」
「ははアなるほど、そのことでござるかな」
 彦七もどうやら胸に落ちたらしく、
「羨しいと申そうか小腹が立つと申そうか、今年六十二の卜翁が曾孫のような十八娘をああやっ[#「ああやっ」に傍点]て側へ引き付けて、我々にまで見せ付けられる。……その又|妾《めかけ》のお菊というのが、眼の覚めるほど綺麗な上に利口者の世辞上手。……」
「しかも今から一月ほど前に抱えた妾だと申すことじゃ。閨《ねや》の中まで思い遣られてなアッハハハ」と利右衛門は、卑しい笑い声を立てたものである。
 とたんに利右衛門は躓いた。
「あ痛!」と叫んで俯向いた。指の先でも打ったらしい。
 一足おくれて歩いていた小宮山彦七は驚いて、つと側へ寄って行ったが、
「あっ!」と叫んで立ち縮んだ。
「大変でござるぞ鈴木氏!」
「なに大変?」と利右衛門の方がかえって驚いて背を延ばしたが、
「はて何事か起こりましたかな? 顫えて居られるでは
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