熱心をもって話を聞いていた美しいお菊は、どうしたものか利右衛門の顔をこの時横眼で睨んだものである。
何とも云えぬ物凄い睨視《にらみ》! 何とも云えぬ殺伐な睨視!
貴殿の背中に白い糸屑が!
しかし勿論誰一人としてお菊の顔色の変わったことに不審を打とうとするものはなかった。
尚ひとしきり赤格子の噂で酒宴の席は賑わった。その中《うち》日が暮れ夜となった。銀燭が華やかに座敷に点《とも》り肴が新しく並べられ一座はますます興に入り夜の更けるのを知らないようである。
今の時間にして十時過ぎになるとさすがに人々は騒ぎ疲労たらしく次第に座敷は静かになった。
「私少しく遠方でござれば失礼ながらこれで中座を」
こう云って利右衛門は腰を浮かせた。
「もう帰ると? まだよかろう。夜道には日の暮れる心配はない。……もっとも家は遠かったな」
「はい玉造でございますので」
「お前が帰ると云ったなら他の連中も遠慮して一時にバタバタ立ち上ろうもしれぬ。……それでは私《わし》が寂しいではないか」と卜翁は子供のように云うのであった。
それでもとうとう利右衛門だけは中座することを許された。それに小宮山彦七も同じく
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