ことだ)
考えながらも宮川茅野雄は、二人の後をつけ[#「つけ」に傍点]て行った。
松倉屋の家庭
宮川茅野雄という若い武士に、後をつけ[#「つけ」に傍点]られているとも知らずに、極東のカリフ様と碩寿翁とは、ズンズン先へ歩いて行った。
と、その時行く手にあたって、一軒の屋敷が立っていた。右は松平駿河守の屋敷で、左はこみいった[#「こみいった」に傍点]お長屋であったが、その一画を出外れた所に、その屋敷は立っていたのである。
武家屋敷とは見えなかったが、随分と宏荘な作り方で、土塀がグルリと取り巻いていた。植え込みは手薄で門も小さくて、どこかに瀟洒としたところはあったが、グルリと外廊《そとがわ》を巡ったならば、二町ぐらいはありそうに見えた。
富豪の商人の別邸と言ったら、一番似合わしく思われる。
その屋敷の門の前まで、極東のカリフ様が行った時であったが、
「雲州の爺々《おやじおやじ》、この屋敷などあぶない[#「あぶない」に傍点]ものだ」
こう云って顎をしゃくるようにした。
「は、あぶないと仰せられますと?」
足をとどめた碩寿翁は、不思議そうに屋敷に眼をやった。
「これはお前には解らないかも知れない。が、私《わし》にはよく解《わか》る。ろくでもない[#「ろくでもない」に傍点]事が起こって来ようぞ」
「この屋敷へでござりますか?」
「ああそうだよ、この屋敷へだよ」
「ご三卿様のご用達《ようたし》、松倉屋の別邸だと存じますが、何事が起こるのでござりましょうか?」
「松倉屋の女房を知っているかな?」
「美人で派手好みで交際《つきあい》好きで、評判の女房にござります」
「そうして大分若いはずだ」
「二十三歳とか申しますことで」
「しかるに松倉屋勘右衛門は、六十一歳とかいうことだ」
「大分違うようでござりますな」
「で、よくないことが起こる」
「どうも私には解りませぬが」
「身分違いの持っていけない物を、松倉屋勘右衛門が持っているからだよ」
「…………」
やはり碩寿翁には解らないらしい。黙って屋敷を見上げ見下ろしている。
「それ第一に年が違う。ええとそれから身分が違う。と云うのは女房のお菊というのは、富豪の商人の松倉屋などへ、輿入《こしい》れすることなど出来そうもない、貧しい町家の娘だそうだ。で女から云う時は、松倉屋の財産に眼が眩《く》れて、若さと美しさとを犠牲にしたのだし、松倉屋の方から云う時には、女の若さと美しさのために、財産とそうして位置と名誉とを、犠牲にしたということになる」
「が、しかしそのようなことは、世間にザラにありますようで」
「そう云ってしまえばそれまでだがな、いけない事情があるらしいよ」
極東のカリフ様はこう云って来て、フッと話を横へ外らせた。
「松倉屋の前身を知っているかな?」
「抜け荷買いをしたとか聞き及びましたが」
「抜け荷買い、さよう、その通りだ。……で、異国の珍器の価値《ねうち》を、松倉屋勘右衛門は充分に知っとる」
「…………」
「それにお前に負けないほどに、好事家として有名だ」
「…………」
「五年|以来《このかた》松倉屋の様子が、何となく変に変わって来た。私《わし》の屋敷へ出入りをするごとに、私におかし気な謎をかける。……がまあまあそれもよかろう」
極東のカリフ様が歩き出したので、碩寿翁もつづいて歩き出したが、間もなく姿が見えなくなった。
小出信濃守《こいでしなののかみ》の邸の前を通って、榊原《さかきばら》式部少輔の邸の横を抜けて、一ツ橋御門を中へ入れば一ツ橋中納言家のお邸となる。
二人ながらその方へ行ったようである。
で、月光に照らされながら、松倉屋勘右衛門の邸の前に、首を傾《かし》げて佇んでいるのは、宮川茅野雄一人となった。
(今夜は実際いろいろの人から、色々の面白い話を聞いた。松倉屋勘右衛門と女房との話も、俺にとっては面白かった。それとはハッキリと云わなかったが、一ツ橋様のお話の中には、莫大の価値のある何かの両眼と、松倉屋勘右衛門との間には、何らかのつながり[#「つながり」に傍点]がありそうだ)
しかし、その事が宮川茅野雄の持ちつづけて来た好奇心を、急速に膨張させたのではなかった。
そんなように思われたばかりであった。
(どれ家《うち》へ帰ろうか)
で、茅野雄は歩き出した。
しかるに十町とは歩かないうちに、茅野雄の身の上に不慮の事件が起こった。
と、いうのは茅野雄は感付かなかったが、茅野雄が巫女《みこ》めいた若い女から、自分の運命を買った時から――いや巫女めいた女から別れて、極東のカリフ様と碩寿翁との、後をつけて足を運び出した時から、一人の武士が足音を盗んで、茅野雄の後をつけて来たが、この時俄然と茅野雄の背後《うしろ》から、声もかけずに切り込んだのである。
茅野雄は蘭
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