》がその体に備わっていた。もう一人は、六十を過ごしたくらいの、頑丈らしい老武士であったが、これも品位を備えていた。
(追い抜いては失礼にあたるだろう)
で、茅野雄は後について歩いた。
すぐに茅野雄の耳についたのは、二人の変わった会話《はなし》であった。
「ああいう品物を手に入れるのは、個人としては危険なのだよ。どうでもあれは昔に返して、亜剌比亜《アラビア》の沙漠の神殿の奥へ、封じ込まなければならないのだよ」
こう云ったのは若い方の武士で、その云い方には特色があった。すなわちいつも他人に対して、絶対的服従を命じ慣れている――と云ったような云い方なのである。高貴で威厳があって断乎としているうちに、温情があふれ漲《みなぎ》っている。
「これは極東の教主《カリフ》様の、御意の通りと存じます」
老将軍とでも形容したいような、頑健な老武士はこう応じたが、その声には一種の不快さがあって、信用の置けない老獪な人物――と云ったように感じられた。しかし極東のカリフ様と呼ばれた、若い気高い侍には、一目も二目も置いていると見えて、物言いも物腰も慇懃《いんぎん》であった。
「あの両眼がよくないのだよ。もちろん値打ちを知らない者には、変わった単なる石ッころ[#「ころ」に傍点]として、無価値の物に映るであろうが、知っている者には宇宙にも見えよう」
「これは極東のカリフ様の、お言葉の通りにござります。両眼の価値を知りました者には、宇宙にもあたるでござりましょう。が、幸いにもこの国には、ああいう物の偉大な価値を、知っておる者は少ないようで」
「いやいやそうでもなさそうだよ。わし[#「わし」に傍点]も知っていればお前も知っている」
「さあその他にございましょうかしら?」
「あの品物がこの国へ渡って、五年になると云うことだが、いまだに行衛《ゆくえ》がわからない。――ということから推察すると、われわれ二人以外の者で、あの両眼の素晴らしい価値を、知っている者が確かにあると――そう云うことも云われそうだよ」
「と、申しますと何者かが、あの品物を隠して持っている――と、このように仰言《おっしゃ》いますので?」
「さよう、わし[#「わし」に傍点]はそう思う」
「その反対とも申されましょう」
「はてな、それはどういう意味かな?」
「無価値な品物と見きわめ[#「きわめ」に傍点]られて、古道具屋の店先などに、転がされているのではござりますまいか?」
「もしそうなら面白いの」
「いえ勿体なく存じます」
「お前ひとつ探してはどうか」
「は。さようで。探し出しましょうか」
「好事家《こうずか》で名高いお前のことだ。探し出したらはなすまいよ」
「いえ、ご連枝様に差し上げます」
「これこれ何だ雲州の爺《おやじ》、いちいち極東のカリフ様だの、ご連枝様だのと呼ばないがよい。わし[#「わし」に傍点]とお前とは話相手ではないか。わしの名を呼べ、慶正《よしまさ》と呼べ」
「ハッ、ハッ、ハッ、呼びましょうかな」
聞くともなしに聞いていた宮川茅野雄はこの言葉を聞くと、
「ははあ」と、呟《つぶや》かざるを得なかった。二人の身分がわかったからである。
極東のカリフ様と呼ばれたり、ご連枝様と呼ばれたりする武士は、奇矯と大胆と仁慈と正義と、平民的とで名を知られている、一ツ橋大納言の弟にあたられる、徳川慶正卿その人であり、雲州の爺と呼ばれている武士は、出雲松江侯の傍流の隠居で、蝦夷《えぞ》や韃靼《だったん》や天竺《てんじく》や高砂《たかさご》や、シャムロの国へまで手を延ばして、珍器名什を蒐集することによって、これまた世人に謳われている松平|碩寿翁《せきじゅおう》その人なのであった。
(立派な人物が二人まで揃って、面白い話を話して行く。高価な品物とはどんなものだろう? 両眼とは何の両眼なのであろう?)
茅野雄は好奇心に心を躍らせて、尚も二人をつけ[#「つけ」に傍点]て行った。
(それにしても極東のカリフ様とは、一体どういう意味なのであろう?)
これが茅野雄には疑問であった。
ただし長崎におった頃、茅野雄は蘭人の口を通して、カリフという言葉と言葉の意味とを、一再ならず耳にはした。マホメットという人物を宗祖として、近東|亜剌比亜《アラビア》の沙漠の国へ興った、非常に武断的の宗教の、教主であるということであった。
で、これはこれでよかった。
しかし極東の教主《カリフ》という、極東の意味が解らなかった。
(日本のことを極東というと、蘭人からかつて聞いたことはある。では極東の教主というのは、日本におけるマホメット教の、教主というような意味なのであろうか? ではいつの間にか日本の国へもマホメット教が渡来したのであろうか?)
そう思うより仕方がなかった。
(それにしても一ツ橋慶正卿がそのカリフとは驚くべき
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