呂敷が図に当たり、予想にも優《ま》した大繁盛が訪ずれて来たのでございます。諸大名方へのお出入りも出来、内弟子外弟子ひっ包《くる》めると、およそ千人の門弟が瞬間《またたくま》に出来上ってしまいました。
「何と世の中は甘いものであろう」
この時の私の気持といえば、ざっとこんなものでございました。
3
とはいえさすがのこの私も、貴郎《あなた》から差し紙を戴いた時には、思わず呼吸《いき》を呑みました。
「これは少しくやり過ぎたな」
咄嗟にこのように思いました。
「処士の身分で華美《きらびやか》な振舞、世の縄墨を乱す者とあって、軽く追放重くて流罪、遁れ了《おお》すことはよもなるまい」
それで私は心|竊《ひそ》かに覚悟を定《き》めたのでございます。そうして当日は、乗物をも用いず辰の口のお役宅まで、お伺いしたのでございました。
するとどうでしょう、お取次の人がさも鄭重に案内して、質素ではあるがいとも結構なお座敷へ、通されたではございませんか。それからお菓子、それからお茶――お客人としての待遇を致されたではございませんか。
「はてな?」と私は考えました。
「皮肉か? それともお戯むれか? しかしかりそめにも天下のご老中! 左様なことはよもあるまい。深い仔細のある事かも知れぬ」
――こう思わざるを得ませんでした。
やがて傍らの襖が開いて姿を現わされたのは貴郎でした。
「由井殿ようこそ参られたの」
立ったままこの様に声を掛けられ、双方の間三尺を距てず、ピタリとお坐りになられた時には、いよいよ驚いてしまいました。
「今日は公の会見ではのうて、平の松平信綱と正雪殿との懇談じゃと、斯様《こう》思召《おぼしめ》し下されい……さてそこでご貴殿のご器量と、ご名声とにお縋りしてお頼み致したい一儀がござるが、お聞き届け下されようや? ――と藪から棒に申してはご返答にもお困りであろうが、余の儀ではござらぬ、謀叛遊ばされい!」
「え?」と私は眼を上げて、貴郎のお顔を見詰めたはずです。
「徳川幕府に弓引かれいと、信綱お進め申すのじゃ。いや驚くには及び申さぬ。勿論これは奇道でござって正道はその裏にござるのじゃ! ――徳川も今は三代となり平和の瑞気|充々《みちみち》て見ゆれど、遠くは豊臣の残党や近くは天草の兇徒の名残り、又はご当家の御代となって取り潰された加藤、福島の、遺臣の輩《ともがら》、
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