町奉行落合小平太殿、御加番《ごかばん》松平山城守殿、お二方の手に率いられた六百人の捕り方衆は、もう先刻から私共の旅宿、梅屋勘兵衛方を追っ取り巻き、時々鬨の声をあげるのが手に取るように聞こえてきますが、左右無く踏み込んでも参らぬ気勢《けはい》に、私共は心を落ちつかせ静かな最期を遂げようと差し控えて居るのでございます。
 そうして私は貴郎《あなた》宛のこの遺書を認めて居るのです。
 先程奉行所から、手付与力の田中万右衛門殿と小林三八郎殿とが、
「当家宿泊の由井正雪殿に少しく尋ねたき仔細ござれば奉行所まで同道致すように」
 と、旅宿の門まで参られましたが、私は「病気」の故を以って堅くお断わり致しました。貴郎はこれをお聞きになったらさぞ御不審に思われましょう。
「それが最初からの手筈ではなかったか。何故正雪は断わったのであろう?」
 こう仰せられるに相違ありません。いかにもそれは貴郎と私との二人の間に取り決められた手筈であったことは確かです。
 二人の与力に守られて、私は奉行所へ罷り越す。と直ぐ貴郎のご保護の下に、多分のお手当てを頂戴した上、ある方面へ身を隠す。しかし私の一味徒党だけは、一人残らず召捕られる。
 ――というのが段取りでございました。
 しかるにそういう手筈を狂わせ、そういう段取りに背いたばかりか、死なずともよい自分の身を自分から刄で突裂くとは何という愚かな仕打ちであろう。こう貴郎の仰せられることも十分私には解って居ります。
 解っていながら愚かな行為を敢えて行なうという以上は、行なうだけの何等かの理由が、そこになければならない話です。それで私はその理由を、ここで披瀝いたしまして、貴意を得る次第でございます。
 さて、私の追想は、江戸牛込榎町に道場を開いたその時分に、立ち返らなければなりません。山気の多い私にとっては万事万端浮世の事は大風呂敷を拡げるに限る、これが最良の処世法だと、この様に思われたものですから、道場に掛けた看板も、
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由井民部之助橘正雪張孔堂《ゆいみんぶのすけたちばなのしょうせつちょうこうどう》、十能六芸|伊尹《いいん》両道、仰げば天文俯せば地理、武芸十八般何流に拘らず他流試合勝手たる可《べ》き事、但《ただ》し真剣勝負仕る可き者也
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 こういったようなものでした。果たして私の思惑通り、この大風
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