ので、女房は気の毒な寡婦の身となり、子供は孤児となりまして、家計も貧しくなりました。が、女房は健気《けなげ》にも、他へ再婚しようともしないで、山へ登って行って薪を拾ったり、浦へ出て行って和布《わかめ》をかったり、苦心して子供を育てました。つまり二人の子を養育して、亡き良人《おっと》の業をつがせようものと、辛苦したのでございます。然るに長男が八歳となり、次男が五歳となりました時に、悲しい出来事が起こりました。というのは、或日でありましたが、川の向う岸に沢山《たくさん》の海苔《のり》が粗朶《そだ》にかかっているのを見て、母親がとりに渡りましたところ、後を慕って二人の子供がこれを渡って行きました。と流れが急でありましたので、二人の子供は溺れ死にました。どのように母親が嘆き悲しんだか? 想像に余るではありませんか。で、母親は髪をおろし、尼となって朝夕念仏をし、菩提を葬ったのでありますが、『橋さえかかって居ったならば、このようなことは起こらなかったであろう、どうぞして橋をかけたいものだ。将来人助けにもなるのだから』不図《ふと》こんなことを思ったそうです。と、或日大きな流れ木が、河の岸へ横付けにな
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