々しい人相や風采のために、その家――泉谷《いずみや》という旧家でありましたが――その泉谷の家族達によって丁寧な態度であつかわれました。
「真間《まま》の継橋《つぎはし》へも参ったことであります。矢張《やは》りよい景色でござりました。ここにも継橋がございますな」
 いかさま継橋が見えていました。
 八筋の川が流れて居りまして、一筋ごとに橋がかかっていて、継橋をなしているのでした。
 継橋の数が八ツなので、そこで八橋ともいうのでした。
「憐れな伝説がございます」
 左衛門の前へ穏かに坐って、左衛門と一緒に茶を喫し、長閑《のどか》に話していた泉谷の主の、彦右衛門という人物は、こう左衛門にいった後で、その憐れな伝説を、古雅な言葉つきで話しました。
「仁明の御皇《みかど》の御代《みよ》でありましたが、羽田玄喜という医師がありまして、この里に住居《すまい》して居りました。女房と申すのがこの里の庄司の、継娘《ままむすめ》でありましたが、気だての優しい美しい縹緻《きりょう》の、立派な女でありまして、二人の間に男の子が、二人あったそうにござります。ところが玄喜は三十歳の時に、病気でなくなってしまいました
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