じ身の上、足は洗っても義理は捨てねえ」
「それじゃ兄貴」
「たっしゃで行きねえよ」
 勾坂甚内は身を飜えすと、小暗い家蔭へ消えてしまった。

 寂然《しん》と更けた富沢町。人っ子一人通ろうともしない。
 サ、サ、サ、サ、サッと、爪先で歩く、忍び足の音が聞こえて来たが、一軒の家の戸蔭からつと[#「つと」に傍点]浮かび出た一人の武士。辷るように走って来る。と、その行く手の往来へむらむら[#「むらむら」に傍点]と現われた一群の捕り手。
「御用!」と十手を宙に振った。「遁がれぬところだ勾坂甚内、神妙にお縄を頂戴しろ!」
「…………」甚内はそれには答えずに、かえってそっちへ駈け寄せて行く、その勢いに驚いたものか、捕り手はパッと左右へ開いた。その真ん中を馳せ抜けようとする。ピュ――ッと響き渡る呼子の笛。これが何かの合図と見えて、甚内を目掛けて数十本の十手が雨霰と降って来た。これには甚内も驚いたが、そこは武蔵直伝の早業、十手の雨を突っ切った。大小の鍔際《つばぎわ》引っ抱え十間余りも走り抜ける。この時またも呼子の音《ね》が背後《うしろ》に当たって鳴り渡ったが、とたんに両側の人家《いえ》の屋根から大小の
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