ず二度三度、そんな狛犬を見たとすると、心臓麻痺を起こすかも知れない。そうしてほんとに死んだかも知れない……ほんとにあぶないところだったよ。それで彼奴らは昨夜を最後に、引き上げようとしていたものさ。行きがけの駄賃に猛獣を放し、憎いマドリッドの市民達を――つまり彼らは東洋人で、あらゆる欧羅巴《ヨーロッパ》の人間を人種的に憎んでいるのだからね――食い殺させようと計ったものさ。幸い僕が気がついてすぐ警視庁へ電話をかけ、警官をひそかに呼び寄せておいて、園丁達に云いふくめ、あらかじめ猛獣を檻の中から出しておいたからよかったものの、そうでなかったら市民達の円《まど》かな眠りは醒まされたろう」
「しかしどういう方便で回鶻《ウイグル》人のあの男が園長と知るようになったのでしょう?」
「そんなことどうだっていいじゃないか。そこが学究の馬鹿な点さ。実はね、ここへ来る前に病院へちょっと寄ったものさ。エチガライ氏にいき逢ってその点について訊いて見ると、その説明が面白い――それはある時エチガライ氏が町を散歩していると、若い女の乞食《こじき》が来て手の中を乞うたというものだ。と見ると女の容貌が微妙な雑種を呈していて氏の好奇心をそそったので、そのまま家へ連れて来て女中に使っているうちに、友人の市長に懇望され譲ってやったということだった」
「聞いてみれば何んでもありませんなあ」
レザールは思わず呟いた。
「どうです」とラシイヌは画家を見て、「あなたがもしも小説家ならよい小説が出来ますな」
「神秘でそして幽幻で大変面白い材料です。空想画として面白い。燐光を放って走って行く、獣のような人間を、一つ油《オイル》絵で描きましょうかな」
「獣人というような題にしてね」
ラシイヌは笑って云ったものである。
麗《うらら》かな春の午後である。
第二回 沙漠の古都
六
[#天から4字下げ](以下は支那青年張教仁の備忘録の抜萃である)
夕暮れは室へも襲って来た。卓上のクロッカスの鉢植えの花は、睡むそうに首を垂れ初《そ》めた。本棚の上に置かれてあるバスコダガマの青銅像《ブロンズ》の額の辺へも陰影がついた。隣室を劃《くぎ》った垂帳《たれまく》のふっくりとした襞の凹所《くぼみ》は紫水晶のそれのような微妙な色彩《いろあい》をつけ出した。
壁にかけられた油絵のけばけばしい金縁の光輝《ひか
前へ
次へ
全120ページ中18ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング