行き過ぎた時一つの不思議が行われた。と云うのはそれは他でもない。その商船が進むに連れて支那船も静かに動き出し、商船の船腹へ近付いて行く。しかも二隻の支那船が、すなわち、先刻まで遙か彼方に、燈火ばかりを見せていたその支那船も近付いて行く。
 二隻の支那船《サンパン》が商船の腹へピタリと横付けにくっつくや否や素早く縄梯子は投げられた。猿のような早さでその商船へ彼らの一団は乱れ入った。
 忽ち起こる怒号叱※[#「口+它」、第3水準1−14−88]! 七、八発の拳銃《ピストル》の音! 入り乱れて闘かう人の影! 五分足らずの格闘で掠奪戦は終局した。珠数繋ぎにされた船員が甲板の上に倒れている。それらを眼下に見おろして、大勢の部下に囲まれながら、白髪の貴人が立っている。部下達の翳《か》ざす燈火の光で、その風采が鮮かに見える。丸龍を刺繍した支那服を纒い、王冠を頭に戴いている。小肥《こぶと》りの体にやや低い身長《せい》。鋭い眼光に締まった口。ああそれはかつての大統領、またそれはかつての支那の皇帝、袁世凱《えんせいがい》の姿ではないか!
 商船は船尾を翻《ひるが》えした。そして異常の速力で元来た方へ引き返した。こうして一隻の運送船は闇に姿を隠したのである。
 程経て水上を巡邏している水上警察署のモーターが何気なくその辺へ差しかかった時、主のない二隻の支那船《サンパン》が波に漂々浮いているのを不思議に思って調べて見たが、目ぼしい物は何もなかった。もちろん例の黒い箱も、もはやそこにはなかったのである。

        二十一

 一切を見届けたラシイヌは、すぐにそこから引き返して、格闘の場所へ帰って来た。すると依然としてダンチョンだけは、気絶したまま倒れていたが、張教仁の姿は見えなかった。
「それでは彼奴だけ甦えって、どこかへ姿を隠したと見える」
 ラシイヌは心でこう思って飽気《あっけ》ないような表情をしたが、ダンチョンを抛擲《うっちゃ》っても置けないので、彼を旅宿《やど》まで運ぶための自動車を探しに街の方へ、大速力で走って行った。

 ボルネオ航路の英国汽船の一等船室の寝台には、体中を繃帯で包まれた「描かざる画家」ダンチョンが情けなさそうな顔をして、彼の正面に腰かけながら愉快そうに喋舌《しゃべ》っているラシイヌの口もとばかりを見詰めていた。
 ラシイヌは説明を続けて行く。
「……何ね、
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