よく改心した賢者だというので却って人々は尊敬する。
で、一年も経った頃には、彼も何時しか昔の事を忘れて、村風子の身の上を喜ぶようになった。
斯うして復も一年経ち、梅の花の咲く春となった。千里鶯啼いて緑紅に映ず、水村山郭酒旗の風――郊外の散策に相応い、斯う云ったような季節になったのである。
で彼は或日一瓢をたずさえ、湖水の岸に添い乍ら小坂の観音の方へ彷徨って行った。
目指す境内へ着いたは、日暮に近い頃であって数百年を経たらしい梅の老木が、千孕万孕の花を着け、夕陽に皓々と照り栄えている様子は、例ようも無く美しかったが、参詣の人も花見の人も悉く絶えて影も無かった。
純八に執っては人の居ない事が、却って好都合で有難く、飽かず其辺を逍遙しながら、静かに歌を考えたりした。
斯うして今の時間にして二時間余りも経った時、既に充分興を尽くしたので、彼は家路に就こうとした。
すると、忽どこからとも無く、
「純八殿、純八殿」と呼ぶ者がある。
「何人《どなた》でござる?」
と怪しみ乍ら、純八は四辺を見廻わした。人の居るような気配も無い。で復彼は歩き出した。と復同じ声がして、
「純八殿、純八殿」
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