敷でございます」と、浪之助はお長屋の一軒の前で立った。
二百石取りか三百石取りか、相当立派な知行取りの、お長屋であることは構えで知れた。
板塀が高くかかってい、その上に植込みの槇や朴が、葉を茂らせてかかってい、その葉がこれも月の光に燻銀《いぶしぎん》のように薄光っていた。
「表門の方へ廻って見ましょう」
こう云って要介が先に立ち、二三間歩みを運んだ時、消魂《けたたま》しい叫声が邸内から聞こえ、突然横手の木戸が開き、人影が道へ躍り出た。
一人の武士が白刃を下げ、空いている片手に一人の女を、横抱きにして引っ抱えてい、それを追ってもう一人の武士が、これも白刃を提《ひっさ》げて、跣足《はだし》のまま追って出て来た。
「汝《おのれ》! ……待て! ……極重悪人」
追って出た若い武士の叫びであった。
「お兄様! ……お兄様!」
抱えられている娘は悲鳴をあげた。
「陣十郎だ!」とその瞬間、要介は叫んで足を返した。
娘を抱えている武士が紛う方もない、水品陣十郎であるからであった。
陣十郎は躊躇したらしく、一瞬間立ち止まった。
背後《うしろ》から若い武士が追って来る、行手には二人の武士
前へ
次へ
全343ページ中35ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
国枝 史郎 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング