が、さながら水でも引くように、左り後ろへ斜めに引かれた。
 誘いの隙に相違なかった。
 それに老武士は乗ったらしい。
 一足踏み出すと真っ向へ下ろした。
 壮年武士は身を翻えしたが、横面を払うと見せて、無類の悪剣、老武士の痩せた細い足を、打ったら折れるに相違ない、それと知っていてその足を……打とうとしたきわどい[#「きわどい」に傍点]一刹那に、
「あれ、お父《とう》様」という女の声が、息詰まるように聞こえてきた。
 正面に立っている屋敷の縁《えん》に、十八九の娘が立っていた。
 跣足《はだし》でその娘が駈け寄って来たのと、老武士が木剣を閃《ひら》めかせたのと、壮年武士が「参った」と叫び、構えていた木剣をダラリと下げ、苦笑いをして右の腕を、左の掌で揉んだのとが、その次に起こった出来事であった。
 浪之助も塀の節穴越しに、苦笑せざるを得なかった。
(若い武士が打たれるはずはない。わざと勝を譲ったんだ)
 そう思わざるを得なかった。
 浪之助は娘を見た。
 柘榴《ざくろ》の蕾を想わせるような、紅《あか》い小さな唇が、娘を初々しく気高くしていた。


「何だそのような未熟の腕でいながら、傲慢
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